季節外れでも、おでん鍋はおいしいわ!
「えっ。明日から皆で、≪高地≫へ行くの!?」
北町詰所を出て、アイーズとヒヴァラは二人でバンダイン家に帰宅する。
ヒヴァラの兄を訪ねる旅のことを告げると、台所にいたアイーズの母は目をむいた。
「高地といっても、うーんと広いでないの。どこの分団基地へ?」
「第二分団のイヌアシュルよ、お母さん」
「まぁー、何だってはるか彼方へ! 一日ふつかでは済まないわね……。むっ、お父さんの肌着きがえを用意しないと~」
自分の領域たる部分については、恐るべき計画的組織力をもって取り組む母である!
のすりの如きするどき視線で宙をにらみ、さっそく算段を始めているのだ。
「ヒヴァ君の分は、お兄ちゃん達どれかの置き服から何とか捻出して……」
「ちょっとちょっと、お母さん。遠方の辺境ではあるけど、外国へ行くってわけでなし。≪切り株街道≫ぞいに行くんだから」
止めずにいたら、どこぞの未開無法地帯に乗り込むための野営装備一式を用意しそうな勢いの母である。
宿場町経由の旅だと強調して、アイーズはどうにか母を安堵させた。
「そうか、そうね。よく考えたらアイちゃんが一緒なんだもの、お父さんが危ない場所を通ったり、いいかげんに宿ったりするわけがありません。それじゃ着のみ着、適当なところでお宿の早あらいを頼めばいいわ」
「そうよー。何週間もの長旅に出るわけじゃないんだもの」
ふあんふあん。鳶色巻き髪をゆらしてアイーズがうなづいたところで、ヒヴァラがふわっと横にかがみこんだ。
「はやあらいって、何? アイーズ」
子どもの頃はファダン大市どころか、西町からもほとんど出たことがなかった、とヒヴァラが言っていたのをアイーズは思い出す。
当然、ごく一般的な旅行をしたこともないのだろうなと思いあたって、アイーズは簡単に説明した。
「宿泊先で、夜の間に着てるもののお洗濯を頼むことができるのよ。専門の業者さんが洗ってしぼって暖炉に干して、鉄ごてあてて乾かしてくれるの。朝になったら、きれいになったのが届くってしくみ」
「へえー、そうなんだぁ」
もちろん有料ではあるが、イリー社会では割と浸透した外注業務である。
特に騎馬で長旅をする場合は、どうしたって股引に馬と自分の汗を重ねることになるから、利用するものは多いのだ。まぁ、気にしない人はとことん気にしないのだろうが。
「はっ。でもアイーズ、ちょっと待ってよ? そしたら洗濯たのんでる間、はだかでがまんしなきゃいけないってこと? それもそれで、つらいんじゃあ……!」
やぎ顔をがびーんと引きつらせて言うヒヴァラを、アイーズはちょっと面白いなと思いつつ見上げている。
「ふふ、そんなわけはないのよー、ヒヴァラ。どこのお宿でも、ねまきは貸してくれるものなの。わたし達がそれ着てねてる間に、業者さんが服を丸洗いしてくれるんだから」
「へえええ……!」
「昔話の妖精さんのような人が、いるものよねぇ……ねてる間にお洗濯って」
母もふふっと笑っていた。
しかしこの調子では、ヒヴァラは宿に泊まったこともないのだろうな、とアイーズは思う。
そう言えば昨日も、バンダイン家の洗い場・寝室いろいろのしくみを一通り見せて教える必要があったのだ。
他人の家も珍しいのだろうが、イリー式の家そのものがヒヴァラにとっては久しぶりなのだから、これは仕方がない。
……それにしてはプクシュマー郷の台所において、勝手知ったる感じでお粥を作っていたけれど。
「ところで今夜は長旅の前の晩なのだから、がっつりした夕ごはんを作ってあげなくてはね。≪デーヌの息子鍋≫なんか、どうかしら? ヒヴァ君」
アイーズ母に見上げて問われ、ヒヴァラはどーんと小さな目を見開いた。
「デーヌも息子さんも知りませんッッ! 何ですかそれ、おばさんッ!?」
「おや、知らない?」
「いろんなものを特大にぼしの出汁で煮込む、うちのお母さんの得意料理なのよ」
アイーズはひょいと解説した。
「味がしみておいしいし、わたしも大好きなんだけど。……でも、ちょっと季節外れでないかしら? 材料そろうの、お母さん」
「だからこれから、そろえに行くんですよ……アイちゃんや」
母は荘厳に立って前掛けを外し、代わりに椅子の背にかけてあった栗褐色の肩掛けを手に取る。
ふわっとそれを羽織った時、きつい真紅のはでな裏地がちらり、と垣間見えたのだが……。
「ヒヴァ君、籠もってついてくる?」
「はーい!!」
心なしか、ヒヴァラのまろやかやぎ顔も微妙に引き締まっている。アイーズ母のど派手な肩掛け裏地には、まったく気に留まらなかった。
……なんだかヒヴァラの雰囲気ちがうわね、と思いつつもアイーズは二人の後につづく。
お勝手口から、三人はのしのし・ひょろんと外に出た。