ふかふか羊毛パラダイスだわ!
毛地問屋に婿入りしている≪中の兄≫、ナカゴウのあとについて、アイーズとヒヴァラ、そして母は店の裏側へとむかう。
母屋兼店舗の西側に大きな蔵が三つも並んでいて、出入りする使用人たちがこちらにひょいひょい目礼をしてくる。
薄暗い蔵の中に足を踏み入れて、ヒヴァラはひゃっと小さく叫んだ。
「すごいっ。本当に、ふかふかだらけだッ!?」
ひと抱えもある箱型に圧縮加工された羊毛が、天井まで積み上げられてむせ返るようである。
干し藁を敷いた倉庫の中心あたりに立って、ナカゴウは羊毛の箱ひとつひとつに巻かれた紐、その先端の札を手に取ってゆく。
「ここにあるのは、ティルムン貿易用になる羊の粗毛地なんだ。えーと、確か昨日まとめておいたのがその辺に……。ああ、あったあった。これが≪やま羊≫の毛だよ」
ふかふかの壁の一角に手を伸ばして、ナカゴウは毛箱にくっついた札をつかむ。
アイーズがちらりとのぞくと、≪ティルムン大市南区、バルボ粗毛地様 御注文品:数量……≫と詳細が書いてある。
「隣の色みの濃いのは、普通の平地羊なんだ。両方さわって、比べてごらん?」
ナカゴウに言われて、アイーズとヒヴァラはふかふかに手を添わせた。
「あ、本当だ。やま羊のほうが、断然やわらかいわ!」
「ふかふかどころか、ふあんふあんだッ」
アイーズの小さな手に、やま羊のなめらかな毛が吸い付くようだった。
ふつうの羊の毛だってうっとりするほどやわらかいけれど、やま羊の感触はさらに心地よい。夏の浜辺、水の中で砂をすくい取るような滑らかさだった。
「これを圧縮して、詰め生地にするとヒヴァラ君の外套みたいになる。山羊をちょっとだけ入れてるのは、耐久性をつけるためだろうね」
説明するナカゴウの脇で、母は一心不乱に両手をやま羊の粗毛地にそわせ、モミモミしている。厳格な顔の口角が上がって、どこかしらうっとりしているようにも見えた。
中の兄をふり仰いで、アイーズは聞いてみる。
「ナカゴウ。このやま羊の毛地、ティルムンではどういう人が買うの?」
「そこまでは、俺にもはっきりとはわからないよ。ただ値はかなり張るから、お金のある人でないと買わないんでないのかな? 卸値で、ふつうの羊の四倍するんだ」
「四倍も!」
目をむいて、母が驚いた。しかし両手は依然として、ふかふか内に突っ込まれている。
「軽くて肌ざわりもいいけど、やま羊の毛はとにかく一定保温性が高いんだ。あたたかい時はどんどん熱を放して外熱もふさぐけど、寒い時は身体の熱をのがさない。ティルムンというのは、日中は暑くても夜の冷え込みが厳しいところなんだよね?」
ナカゴウの穏やかな問いに、ヒヴァラはうなづいた。
「はい。夜の沙漠は、めちゃくちゃ寒いんです」
その凍える寒さを思い出したかのように、ヒヴァラはうすい肩をさらにすぼめた。
「外套を着てなかったら、俺……凍ってたかも」
「だよねえ。……そういうのを乗り切るために、役立つよいものとして重宝されているのかもしれない。夜間、外で働く人だとかに」
再び明るい陽光の下に出て、ナカゴウは蔵の扉をていねいに閉めた。
錠をおろしながら、ふと思いついたように顔を上げて、中の兄はアイーズを見る。
「そう言えば……そうだ。少し前に、今の毛地の送り先、バルボ粗毛地問屋の番頭さんに会って聞いた話だよ。やま羊の毛は、むこうで軍用品にもなっているらしいね」
聞いてアイーズはぎょっとした。
「軍用ッ!?」
「道理でないのかい? 兵士にはいい装備品を支給するもんだし。ファダン騎士団の縹色外套だって、ヤンシーは雑に着ちゃってるけど。買ったら高いんだぞ、あれ」
やま羊とまではさすがに行かないが、平の巡回騎士も近衛騎士も、若い羊の詰め生地を着ているのだ。
「じゃなくってっっ。ナカゴウ!」
「いで、いででッ。肘をつかむな、握力つよいぞアイちゃんはッ」
目をむく兄を見上げて、アイーズは低く言った……。
「ティルムンの兵士って言ったら、騎士じゃないわ! ……≪理術士≫よ……!」
ぽかんとした母の横、ヒヴァラが一瞬ひょろんと身震いする。
「……ぜんぜん。俺、全然……知りませんでした……」
中に問題の外套を入れたふろしき包みを両腕で抱きしめて、あたたかなファダンの陽光の下、ヒヴァラはつめたい過去の記憶に凍えているらしい。