ときめきのモーニング★おかゆよ!
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「いや。ちょっと、違うでしょ? だめじゃないのよ、これは??」
がつーんと六刻(※)ほど、ぶっ続けに眠って理性を充填させたアイーズは、寝台まん中でもさッと起きるなり口走った。
ちちち……!
ことりのさえずりが、朝日とともに鎧戸すきまから入ってくる。さわやかな朝の賛歌は、アイーズのもさもさ爆発・鳶色髪をすり抜けてその耳に届いたのだが、静かに焦るアイーズには聞こえていない。
――未婚の令嬢が、一人住まいのうちに男性を泊めちゃったって。世間さまに知られたら、どうなるのよッ!?
その世間さまが実ははっきり苦手なアイーズは、うっかりしでかしてしまったことの重大さに顔をゆがめた。
――いいえ! 暴漢に襲われて怪我してよれよれの旧友を、ほっぽり出して見なかったことにするなんて……できるわけがないじゃないの! それにヒヴァラは……。
彼はアイーズに、助けを求めていたのだ。
――助けてくれと頼んでくる人を守るのは、騎士の務めの基本だもの。
騎士ではないアイーズが、騎士道精神に準拠する必要は全くない。しかし修練校にて学んだ訓戒は、今でもアイーズにしみ込んでいる。
いつもはねまきに肩掛けを羽織っただけで、ぐうたら風に朝食をたべる庶民派令嬢アイーズだが、今朝はさすがにきちっと着替えた。
麻衣にふくろ股引、やわらか毛織の短衣を重ね、鳶色巻き髪をとかしてから室の錠を上げる。
扉近くの犬かごに入っていたルーアが、盛大に赤いしっぽを振った。ふっさ・ふっさーん。
そして短い廊下に一歩踏み出した途端、アイーズは異変を察知した。
ファダンの実家にて迎える朝のような感覚……なんだか、いい匂いが??
「あー、おはようッ! アイーズ」
小さな台所は、温かい香気に満ちていた。
明らかに煮炊きをした匂いの充満する中に、ひょろーんと長細い男が突っ立ってこっちに笑顔をむけてくる。
「お、おはよう」
やや引きつつ、アイーズはヒヴァラに答えた。
「勝手にやっちゃってごめんなさい。朝ごはん、用意しました」
「え? ……いえ、別にそれはいいのだけど……」
アイーズはヒヴァラを見つめた。なんて変わりようだろう、昨日とだいぶ違う。
笑っていても、どこか哀しいような顔は同じだ。けれど日に灼けた頬には血色が通ってげっそり感が抜け、ぴかつやしている。もっさりした髪と伸びたひげは、それぞれ燃えるような赫色と金にちぐはぐなまま。
けれど着ているものは、何だかさっぱりしていた。昨夜はほこりっぽかった麻地の短衣にうす地の毛織もの、股引までがきれいになっている。着替えたのかしら、とアイーズは思った。
アイーズの父の古い木靴をはいて、ころんと床に音を響かせながら、ヒヴァラは単炉調理台の上、鍋のふたをとる。
「久しぶりに、杣粥つくったんだ~~!!」
たぷっとおたまに取り分けて、ヒヴァラは小さな食卓の上……座るアイーズの前に、褐色おかゆ入りの椀を置いた。
もひとつ取り分けると、自分もいそいそと向かい側に座る。
腰掛けるのとほぼ同時、両手でお椀を支えて、かぷっとふちに食いついた。
「ヒヴァラ、……えっと……お塩とかいらない? おとついのだけど、牛酪もあるわよ?」
圧倒されてはいるものの、とりあえずアイーズは言ってみた。
とたん、お椀をひょいと下げて、ヒヴァラは小さな双眸を輝かす。
「あるのーっっ!?」
塩と牛酪と、ついでに蜂蜜をいれた杣粥を、ヒヴァラはものすごい勢いですすり食べた。
二杯め、ようやく木匙の存在に気付いたらしい。照れたようにうつむく。
「いいのよ、ヒヴァラ。お腹すいてたんでしょう」
「うん、そうなんだ……。それに温かいもの、ほんと久しぶりにもらったから」
こんなに作ってどうするのかしら、とアイーズが不安に思った鍋いっぱいの杣粥は、やがて消え去る。
アイーズが通常量の一杯を食べるうちに、ヒヴァラがその五倍たべてしまったのだ。
――すごいわね! 若い男性の中には、こんなにたくさん食べられる人がいるものなんだ……!
白湯をのみながら、アイーズは感心の境地に達してそう思った。成長期だった頃の兄たちを、はるかにしのぐ食べっぷりだ。
「よかったら、固いけどぱんの残りがその辺に……。あら? ない??」
「あ……ごめん。それは起き抜けに、たべちゃった」
「……」
日持ちのする大型いなか麦ぱんは、昨夜アイーズが食べてからまだ半分以上も残っていたはずなのに。
「ごちそうさまでした、アイーズ。おかげでほんと、元気でたよ」
ほろほろっと笑って、ヒヴァラはアイーズを見た。
「助けてくれて、ありがとう」
「ええと……。それじゃあ、詳しい話を聞かせてくれる? 一体なにがあって、あんな風に追われていたの?」
アイーズが聞いた途端、びくりとしたようにヒヴァラの顔から笑みが消える。
あっ、とアイーズは内心で身構えた。ヒヴァラは哀しげな表情をこわばらせて……何かにおびえている。
「ヒヴァラ。わたしはね、君のこと助けたいのよ? 何かめんどうごとに巻き込まれているのなら、わたしに話してみて。一緒に役場だとか、何ならファダン市庁舎へ行くこともできるわよ」
うるッ、とヒヴァラの双眸がゆらいだ。顔を少し伏せ、ヒヴァラは濃いめ金色ひげの中で、もしゃもしゃとつぶやく。
「……アイーズに、迷惑かけらんないよ」
「何言ってるのよ! そもそも約束したんじゃないの、助けるよって」
はっ、とヒヴァラは顔を上げた。
男性が、……ひげの生えた成人男性がおおつぶ涙を目に浮かべているところを初めて見たアイーズは、息をつまらせる。
「……おぼえてて、くれたの?? まさか」
どぎまぎしてしまって、アイーズはうなづく。
すると大きなため息をついて、ヒヴァラはぐりぐりっと袖口で目元をぬぐった。
かつでいた重いものを、どさッと落としきった……そんな様子にみえる、安堵の吐息だった。
「……実は俺にも、何がどうなっているのかいまいち……いや、もうさっぱりわかんなくってー」
がくッ! アイーズは脱力した。
「何よ、それはッ?」
「え~と……。じゃあ、どこから話したらいいのかなぁ~?」
昔のヒヴァラは、おとなしくても頭の回る男の子だった。それなのに今のこのひげ付ヒヴァラは、どうにもぽやッとした感じになってしまっている。
――うーむ! これは、わたしからずいずい聞いてあげた方がいいのかしらね?
ふあーん、と鳶色巻き髪をふり立てて、アイーズは食卓の上に身を乗り出した。
「それじゃあね、ヒヴァラ……。わたしから聞くけど。どうして今の君は、西方ティルムンなまりで話しているの?」
目の前の男は一瞬きょとんとして、……次に唇をきゅうっと引き結んだ。
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(※)アイレー世界における『一刻』は、そちらの約二時間です。いいですね、私も十二時間ノンストップで寝てみたい……。と言うわけで、今作品も注釈担当のパンダル・ササタベーナです。皆さんどうぞよろしくお願いしますね♪(ササタベーナ)