【おまけ番外編】グッド・イヴニング・ヤンシー
↑というように番外編です。アイーズとヒヴァラの物語は三つ前の第268話で完結しておりますので、ご注意ください♪
少年はばちばちばち、とまばたきをした。
「……なに言ってんの?」
「とんでもでっけえ包丁買ったろ。それで誰を刺すつもりなんだ、あぁ?」
少年とヤンシー。二人の間に、川風および沈黙が流れた。
土手道まわりにひと気は皆無。
こどもが下校する時間帯と、退勤する大人の波のちょうどはざまに、少年と元少年とが向かい合っている。
やがて身構えたように、現役少年が低く聞いた。
「……これ、職務質問ってやつなの。答えなかったら罪?」
「ちげえ。単にお前が話すのを、俺が待ってるだけだ。ごるぁ」
典型不良顔。片頬側に唇をよせて言うヤンシーを見上げたまま、少年は小首をかしげた。
「なんで? 仕事だから?」
「いいや、俺ぁもう今日の早番で終っている。たまたまお前ぇが魚包丁を買ったと知ったから、その使用目的をきいてるだけだ。ごるぁ」
「魚包丁なんだから、さかなをさばくに決まってんじゃん」
ご……きゅッッ!
ヤンシーは首をひねった。おっかない形相(素)は角度を変えても、少年をねめつけたままである。
ふいに顔と視線を下にさげて、少年はため息をついた。
「……いろいろと、だよ。最終的には自分を刺すつもりだけど」
「いろいろだぁ?」
ヤンシーは鼻の頭にしわを寄せた。
「いじめてる奴らとかか。ごるぁ」
「……ちがうよ、もう。朝も言ったじゃんか、僕はいじめられてなんかいないって」
馬鹿にしたような目つきで、少年はじろッとヤンシーを見た。
「……僕の父親、水軍騎士だったんだけど」
へ? と、ヤンシーは少々口を開けた。
「海賊船だかの追跡中に、脚に大けがしちゃってさ。早期引退して、ずーっと家にいるんだ。で、僕の成績監視にかかりっきり。ほかに情熱かけるとこねぇのかよ、って感じ」
吐き捨てるように言う少年の言葉に、明らかな憎悪がにじんでいる。ヤンシーは目元をゆがめた。
水軍騎士はファダン騎士団の中でも精鋭中の精鋭とされる要員である。中型縦帆船で不審船を追撃する、水上の巡回騎士!
「イリー海の守護者だの、海の英雄だの。そう言われて持ち上げられてきたやつが、せまい家にいる間びたーっっと貼りついて、ずうっと話しかけてくるんだ。気ッ色わるいったらありゃしないよ? しかも僕の話を聞いたり、僕に関しての話をするんじゃない……。勉強の中身、教本のいろいろを連々つらつら、ずーっと言ってやがるだけなんだよ? あいまに挟むのは自分の過去の武勇伝!」
「きつッッ」
思わず、素の答えを口にしてしまったヤンシーである。ぼそぼそ、少年は早口で続けた。
「お母さんやばあちゃんは、気にしないでいいとか言うけど。気にせずにいられるかい! 僕はずうっと誰かの書いたものと、誰か別の人間の話に頭をくっつけてなきゃなんないんだ。そういうつまんないことで頭がいっぱいで、……もう我慢できないんだ。だからあいつを刺して、どうやったって助かんないくらいに血を流させて。そのあと自分にも同じことをして、ここから逃げようと思ってたんだ」
言いながら、少年は巨大な革かばんをどすんと道端に置いた。
「わかったかよ。これが僕の目的であり、計画だ。父親が寝入っているところをぶさっとやるつもりだったから、すんごい計画的犯行になる予定だったんだ。司法部の人がいくら情状酌量だとか、未成年につきとか言おうが、申し開きのできないほどに凶悪なんだ」
少年は伸び上がるように、肩を震わせる。そして革かばんの背部かくしに手をやり、長細いものを取り出した。
ぱっと布を取る、……新品ぴかぴか。まっさらな魚包丁の刃が、きらりと夕陽に照った。
「ばかげてるだろ? 何もかも。あんた、僕のこと補導すんの?」
少年は左が利き手らしかった。ものさしを持つような何気なさで、刃の先を上向きにしている。
「……しねぇよ。お前ぇはまだ、何にもしちゃいねえから」
「なんだ。あんた、いい人なんだ? 見かけに反して」
きらり、と輝くような笑顔の中に涙が光った。
それにヤンシーが、一瞬ぎくりとした隙をつくかのように、少年は振り向いて走り出す。
「あ……おいごるぁ、待ちゃあがれっっ」
予想外の素早さで、少年は砂利を蹴立てて走ってゆく。
縹色外套をひらめかせてそれを追いながら、ヤンシーは少年が右手に見える石橋を目指している、と気づいた。
「おい、待たねぇかぁぁっ。抜き身持ったまんまで、危ねぇぇぇっ」
「刺してから飛び込めば、確実に死ねるだろーお!!」
だいぶ先を行く少年が叫ぶ。
……、ぎいーッッ!! ヤンシーはきれかけて立ち止まり、騎士長靴を一瞬で脱ぎのけた!
「おおおおらぁぁぁぁッッッ」
はだし疾走にてその真価を発揮する男、ヤンシー・ナ・バンダイン!
『きゃーっっ、すごっっ! 何ですこの速さぁ』
『黙っときゃ、舌かむでぇぇぇ』
後ろに流した騎士外套、その頭巾の内側から発される悲鳴なんて、もちろんヤンシーには聞こえちゃいない!
ず・ばーっっっ!!!
元不良巡回騎士、こがらなる駿足少年をぶっちぎり追い抜く!!
「うっっ……」
驚いた少年の前、ずいっとヤンシーは回り込んだ。
「どけ、よおおおっっ」
ぶんっっ!!
大振りにぶん回された魚包丁が、ヤンシーの右手をかすめる。
「大人が! 大人が、僕の邪魔すんじゃねぇぇぇっっ。引っ込んでやがれぇっ」
泣きながら咆え、咆えながらもう一度、少年は魚包丁を何度となく振りかざして切りつけてくる。
『げえっ。何やさまになっとる打ち込み構えやん、こいつ文官志望やったんとちゃうのかッ??』
『正規騎士志望でなくたって、剣のおけいこしてる子はいますよっ! ちょっとティーナ御仁、火の玉かなにか出して! お兄さまを助けなくてはっ……』
『むしろおっさんが出たらええのんとちゃうか!? こどもはまず間違いなく、腰ぬかすで!』
『だめですよ、それこそ一生ものの精神的苦痛になっちゃうかも……きゃあ!!』
ぎいーん!!
低い位置から、かわしにくい下段の打ち込みを入れられ……かけたところで、ヤンシーの手元にかたい音が響く。
地味にして剛健、いちばんお安い装備にして何の手入れも必要ないファダン巡回騎士用・警棒! ……に見える、改造元不良戦闘棍棒!
ヤンシーの受けの一撃が、じいんと少年の左手首に伝わる。未成熟にしていまだかぼそい、その腕の感覚が瞬時麻痺した。
「うあっ……」
少年は思わず、柄の握りをゆるめてしまった。そこへ。
とすっ!
軽やかに回転した警棒の先にはじかれて、魚包丁はふいと宙におどった。
そのふわりとした一瞬に、ヤンシーは警棒に左手を添えて両手持ちとなる、腰をぐいんと切る!
「うおらああああああッッ」
ぱきぃぃぃーん!!!
小気味よい音をたてて、白樫の警棒と鋼の魚包丁とがぶつかる。
そして包丁は夕陽にきらめきながら、高く長く飛んでいって――
ぼちゃーん。
石橋の向こう、アーボ・クーム川の流れの中に落下した。
「さすが俺。見事なる証拠隠滅だな、ごるぁ」
に・や~り!
片方の口角を上げて、ヤンシーは悪者らしく邪悪にわらった。
「な……何すんだようッ! 何さまのつもりなんだ、あんたッ」
ぼろぼろと涙を流し、土手道にへたりこんだ少年が、悲鳴に近い声でわめく。
「これじゃあ、何にも変わんなくって元どおりじゃんか! 僕はまた、くそみたいな毎日を我慢しなきゃならなくなる……」
言いかけて、少年は言葉を飲んだ。
目の前ずうんと立ちそびえる巡回騎士が、右手の警棒を肩にかかげつつ、自分にすんげえ眼光を向けているのにようやく気付いたのである。
「俺様、自分さまに決まってんだろうが。あ・あ~~??」
今まで誰にも向けられたことのない、強烈な圧の入った視線で見下ろされて、少年は思わずぽかんとした。
「そんなかす野郎みてぇな父親を殺ってよう? ほんでかけがえのねぇ自分さまの人生を、台無しにするんか? 頭悪いこと、ほざいてんじゃねえぞ! てめぇ」
「……」
「そういう時ぁとんずらして、うぜぇのを全部切り捨てりゃいいんだよッ。おら、立って荷物ひろえッ。てめぇの家出、手伝っちゃるッッ」
はだしで仁王立ち。ずーんとかぶさる元不良巡回騎士の圧に押されて、やっぱり少年はぽかーんとしていた。
・ ・ ・ ・ ・
「ふ~む。そいでそのまま市庁舎の教育課に連れてった、と?」
食卓のむこう側、するどい眼光をびしびし送りながら聞いてくる母に、ヤンシーはうなづいた。
ファダン市庁舎は終業時刻ぎりぎりだったが、少年が通学から寄宿生に切り替えられるよう、職員に頼み込んできたのである。
ヤンシー自身の更生を担当した中年の文官騎士がすばやく話を飲み込んで、修練校に話をつけると受け合ってくれた。
「うまいことやったでないの、ヤンシー。自覚のない毒親から、破滅しかけていた男の子を救ったと言うわけね。ああ、その家庭もまるごと含めて助けたんじゃない」
「……父ちゃんには絶対言うなよ? 母ちゃん」
ヤンシーもまた、どんぶりに盛ったいか酢にんじんを向こうにして、母にするどき眼光をおくった。似たもの親子である。
「言いませんよ。あんたの立場だからできたことであって、お父さんが知ったら色々と上に報告しなくちゃならなくなるのでしょ?」
通常勤務の父バンダイン老侯は、まだ帰っていなかった。
年功序列で市内警邏はもうしていないのだが、北町巡回詰所には日々さまざまな厄介ごとが持ち込まれる。
熟練の巡回騎士は忙しい、父はいつだって残業ぎみだった。
「それにしても。実の父親を殺したくなるまでに、追いつめられていたなんてねぇ」
ふ~、と母はため息を鼻からついた。
「しかも父親本人には、悪気はこれっぽっちもないんだから。子どものためを思ってやっている分、たちが悪いわね」
「……」
「結局はすれちがいが諸悪の根源なのね。やはり家庭内において、話し合い歩み寄りというものは実に大切なのよ」
うんぬん……かんぬん……ばりばり……。
母の延々たる自説展開に、ヤンシーの咀嚼音が重なる。半日を経て完全に漬かったいか酢にんじんを、ヤンシーは凶悪表情にて噛んで飲む。じつにうまし。
「ほんじゃ俺、洗い場つかってもう寝っからよ」
「あら、そう? そうか、あんたは明日も早番だったわねぇ。ごくろうさま」
薄暗い洗い場にて、ヤンシーは桶の中に頭を突っ込んだ。
妹と同じ、銅貨のような鳶色の短髪をばしゃぶしゃ洗う。それをぐしがし手拭いでこすり乾かしながら、……ぷは~、とヤンシーは盛大にため息をついた。
しんどい日であった。
昨日も一昨日もそうだったが、たぶん明日もこんななのであろう。どいつもこいつも、皆さま悩みやがってあんちくしょう。
手拭いを背に、がちがち肩甲骨のあいだをぞりぞりこすってゆく。
一番疲れたのは、やはりあの殺人未遂くそがきであった。
うぜぇのは全部切り捨てろ、と啖呵を切りはしたが……。自分にしてみたら、ヤンシーは実の父を排するなんて考えたこともなかった。ましてや殺すなど。
「……」
足裏までつるりと拭いてから、ふとヤンシーは手拭いを握る自分の手のひらを見つめる。にぎってひらいて、つぶやいた。
「爆げろ状態だな、ごるぁ?」
川の流れを見ている少年の背に、ずーっと昔の自分を見たはずだった。
その中に渦巻いているやりきれなさを知っているから、だからこそあんなに気にかかって仕方なかったのである。……それなのに。
自分はいつのまにか、【大人】の側に来てしまっていた。
現役不良として全世界あいてに眼光をとばし、全大人に対してけんかを売っていたあの頃。
絶対に行くまいと思っていた、分別と常識の支配する側に……。
年齢上しかたのねぇことじゃねえか、とそれこそ分別くさくなった自分の内なる声が言うのだが、ヤンシーは心の底でずどんと暗くなっていた。
――俺もおっさん域に入ってきた、っつうことじゃねぇかよ。だっせぇぇぇ。
そこか。
首を振りふり、紺色上下にかみなり閃光の意匠が入った不良ねまき姿のヤンシーは自室に引っ込む。
そのすぐ後、階下の玄関扉ががちゃりと開いた。
「ただーいまぁ。はぁ、疲れた」
縹色の外套を脱ぎつつ、バンダイン老侯は迎え出た夫人にぶちゅうと口づけた。
と言うかひげその他が毛深すぎて、されてるお母さんとしてはもじゃもじゃ感覚しかないのだが。
「おつかれ様ですよ。今日もおそかったですねぇ」
「うん。でも儂、あすは非番だの!」
「またアイちゃんとこに行くんでしょうが」
大好きなお父さんの足回りに、猟犬ルーア(こっちはほんものだ)がふさふさとまとわりついて、一緒に台所の方へ歩いて行った。
『おっ。じゃあ俺らも父やんにくっついて、プクシュマー郷に帰るかぁ』
『ええ、そうしましょ。いい距離ですねえ、こうやって時々ファダンに遊びに来るのって。本当にたのしゅうございます』
こっそりバンダイン家に逗留していた精霊ふたりは、もそもそと話しあった。姿を消しているから、誰にもみえてはいない。
『せやな。元やん兄も、おもろいしな?』
カハズ侯のしょっぱいおじさん声に、ティーナの西方ティルムン早口がしゃかしゃか答えた、その直後。
ぶぅおぉぉぉぉぉん!!!
『ひゃっっ』
『きゃっっ』
聴力ばつぐんの精霊ふたりは、上階から響いてきた轟音に思わずびびる。
『……元やん兄が、寝よったな』
『毎朝毎晩、ほんとすごいですねぇ。ここまできっちり、けじめみたいに爆音をたてられるなんて……! やっぱりある種の傑物なのですよ、ヤンシーお兄さまは』
『ヒヴァラが憧れるんも、道理っちゅう』
そう、ヤンシー入眠の≪寝こきっ屁≫であった。
きのうを越えて今日を戦い抜いた平巡回騎士は、来るべきしんどい明日に備えてとっとと寝るのである。
地元、ファダン下町の平和を守るため。大いに眠れ! ヤンシー・ナ・バンダイン若侯よ。
「ふご。 ……ごるぁっっっ」 (※寝言)
【完】




