書店の秘書令嬢にこんにちは♪
「あらっ、アイーズさん! 福ある朝を」
城塞のようなファダン宮城のすぐ近く。
代筆業者や筆記具専門店、大小の書店が軒を連ねる≪かきもの通り≫の一角に、アイーズはヒヴァラを従えて入って行った。
事務所風のせまい玄関、受付の長台に座っていた妙齢の女性が、アイーズを見て笑顔になる。次いで不思議そうに、小首をかしげた。
「どうかなすったの? 原稿ならおとつい無事に到着して、もう第一校正班にまわっていますよ」
アイーズが二日前に送った、翻訳原稿のことを言っているのだ。
この女性は≪オウゼ書房≫の店主の娘で、家族経営の会社の秘書をしている。アイーズよりずっと年上だけど、気安く話してくれる令嬢だった。
「いえ、ヒュティさん。今日は別件で、調べたいことがあって来たんです。資料室を使わせていただけますか?」
「ええ、いいですよ! ……そちらの方も、ご一緒に?」
ふわりと視線を投げられ、ヒヴァラはヒュティに向かって丁寧に目礼をした。
「わたしの母方の田舎から、資格勉強に出てきている人なんです。調べものの量が多いので、手伝ってもらいたいんですが。いいですか?」
「そうですか! ごくろうさまです、さあ鍵をどうぞ」
アイーズはヒヴァラについて、あらかじめ家族と話を合わせておいた仮の肩書を使った。
親戚縁者をたよって首邑のファダンに出てくる者は多いし、受け入れる家庭のお墨付きとして紹介されれば、何ら不審に思われることもないのだ。実際ヒヴァラは少々子どもっぽく見える外見だから、おのぼり書生さんと言うにはぴったりだった。考え付いたアイーズの母はえらい。
オウゼ書房は縦長住宅を改築したところで、廊下をだいぶ行った突き当りに≪社内資料室≫がある。
途中ゆき過ぎる室は、どこも扉が大きく開かれていた。アイーズの後ろを歩くヒヴァラは、そこで作業している人々の姿をちらりとかいま見る。
どの室にもめいっぱい大机が詰め込まれていて、上は筆記布だらけ。壁際には棚がめぐらされていて、天井まで本や書類が押し込まれている。何人かで、ぶつぶつ話し合いをしている人たちもいた。筆記布にきいたのりと、墨の匂いが充満している。
がちゃり!
どっしり重い鍵をまわして解錠し、アイーズは突き当りの室に入る。鎧戸はすでに取り下げられていて、窓からやわらかい日光が差し込んでいた。
「ひゃあ、本の林」
ヒヴァラが小さく言った。
ここまで通り過ぎてきた作業室と比べたらかなり整然としているが、詰め込まれた本と書類の密度は段違いに濃かった。三方ほとんど、壁は作り付けの書棚になっていて、中央部分にずどんとした書架が二台おかれている。
「うれしそうね。どうしたの、ヒヴァラ?」
資料室の隅に重ねてあった腰掛を二つ、持ち上げて書架となりの机のそばに置きながら、アイーズは問いかけた。
「うん。何だかちょっと、騎士修練校みたいだからさ……ここ!」
はて、とアイーズは小首をかしげる。そうだろうか? どの辺が~??
「ええと、ね……。経済・貿易関連の本だから、そこの棚の上の方ね」
とりあえず、ここまで訪ねてきた目的を果たさないといけない。書棚用のかけ梯子をヒヴァラに押さえてもらって、アイーズはひょいひょいとのぼった。
「あった、あった。イリー・ティルムン貿易白書、161年。162年……」
イリー暦164年から三年分の白書を抜き取って、アイーズは梯子を下りる。
どしりと持ち重りのする太い布巻き本を、閲覧用の机の上に広げてみると、中は細かい字がびっしり詰まって真っ黒に見えた。
「あ、これは正イリー語なんだ?」
並べて置いた腰掛に座り、アイーズの横からのぞき込んでヒヴァラが囁いた。
「そりゃそうよ。イリー側から見ての、輸出入のまとめ記録なんだもの」
丸帽を脱いで、きゅるっと髪を後ろにくくりながらアイーズは答える。
「……これなら、俺も読めるよ。正イリー語は忘れてないんだ、かろうじて」
「そう? じゃあ、この164年度ぶんを任せるわ。ティルムンへの輸出品目の中で、農作物のところを見てくれる? たくさん輸出されたもの、繰り返し輸出されているものを探してみて。栗粉だとか、昨日の書類にあった品物があてはまっていないかどうか、確かめてみましょう」
「わかった! ようーし」