ヒヴァラの誘拐事情が謎よね!
アイーズは、西町ヒヴァラ実家から出てきた書類の正体推測を言ってみる。
「あの筆記布をお家の床下に置いたのが、君のお父さんだったとして。ファートリ侯はもしかしたら、ティルムン語訳とか清書の代行をしていたんじゃないのか、と思うの。副業、内職ってやつよ」
「え、何それ!?」
「誰かに依頼されて、いろいろな貿易書類を代わりに書いていたのかもよ。テルポシエの輸出業者あたりとか……」
今自分たちが向かっているオウゼ書店では、ほとんど読み物や教養・知識本しか扱っていないし、それらの翻訳依頼しかまわってこない。しかしオウゼ書店と契約する前、アイーズは貿易書類翻訳の代行をしたことがあった。
「単価があまり高くないし、需要に波があるから、わたしは書籍翻訳中心に移ったんだけどね。ヒヴァラのお父さんみたいにお仕事している人が片手間に副業するなら、うってつけだったと思うわ」
そうして仕上げたもののうち、清書にいたらなかった次点作品を、ヒヴァラの父は以降の参考にするべく保管していたのかもしれない。あるいはもっと単純に、床下の断熱材にしたかったか。
「そっか、なるほど……!」
やぎのような顔をしかつめらしくして、ヒヴァラはうなづいている。
実はアイーズは、そのもうちょっと先までも推理の羽をのばしていた。けれどヒヴァラをこれ以上傷つけたくないから、口には出さないでおく。
――ヒヴァラのお父さんファートリ侯は、その翻訳を請け負ったティルムン貿易業者を通して、ヒヴァラを連れ去った人たちに関係したのかも、なんて……。いえ、まさかね。親権がないとはいえ、自分の子どもを農奴として外国に差し向けるなんて、あるわけがないわ……。
アイーズは、話の向きを変えることにした。
「ところで、ヒヴァラ。そういう君は、どうして北部の事情に詳しいの? イリーと違う墨を使っているだなんて、普通の人は知らないんじゃない?」
ちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「うん、むこうで一緒にいた中にさ。北部穀倉地帯の出身だった子がいたんだ」
「ああ……そういえば、同じくらいの年の子たちがいた、って言ってたわね」
ヒヴァラが閉じ込められていた≪沙漠の家≫には、ティルムン人らしき大人のほかにも、少年たちがいた。
ようやく話が通じるまでにティルムン語を習得してから、めいめいの故郷のことを話したのだという。
「イリー人は俺だけで、あとの四人は北部や東部の子たちだった。でも同じ潮野方言を話しているはずなのに、みんなほとんど分かり合ってなかったよ。いろんな地方から来てて、そこのなまりが強いから、ほぼ別の言語みたいになっちゃっててさ」
沙漠の過去を話し始めたヒヴァラの声は、落ち着いていた。
アイーズはそうっと、聞いてみる。
「……その人たちは、ヒヴァラと一緒に脱出できたの……?」
ふるふる、ヒヴァラは頭を横向けに振った。
アイーズは胸を突かれた気がする。彼らは≪白き沙漠≫の中で、今も農奴生活を強いられているのだろうか?
「わからないんだ、本当に。はっきりとは見なかったから……」
ヒヴァラの双眸が、悲しげに瞬きをする。
「でも、たぶん……。あれを生き残ったのは、俺一人なんだと思う」
哀しみの向こうにある虚ろさに、アイーズはかける言葉を見つけられない。
けれどヒヴァラ自身が、アイーズを見た。じっと見下ろして、見つめて――深呼吸をしたらしい。
「……お城が見えてきたけど。ここからどうやって歩いてくの? その本屋さん」
現実的な問いが、前向きだった。