ファートリ老侯のたどった軌跡が明らかになるわ
ペレーグは采配役として、ティルムン語翻訳の仕事をソルマーゴ・ナ・ファートリに発注していた。
そうするようにと裏でダウル・ナ・ディルトに指示されていたのだが、実際カシュトーン農園からの業者納品は莫大である。多くの仕事を確実にこなしてくれる、ファートリ老侯の実力を個人的に買うようになった。何度か依頼を重ねたあと、ペレーグはファートリ老侯に直接書類を届ける機会をつくる。
文書だけでやりとりしても良かったのだが、ペレーグは妹の夫たる人物に対面したかったのだ。
レイミアは自分が北部穀倉地帯の出身であることを隠し、マグ・イーレ人として通していた。よってペレーグは自分が義兄にあたる身であることは伏せ、ディルト侯に通じた北部貿易商人とだけ称して、ファートリ老侯に会ったのである。
「そこから年に一回二回くらい、昼休みにファダン城近くの休み処なんかで、書類の受け渡しをしたもんさ。長く話したわけじゃあないが……。まぁ何つう、くそまじめな人かと。字づらそっくりな本人に、俺はすっかり恐れ入っちまってね? それで内心、申し訳なくなった」
『申し訳ないとは?』
ヒヴァラの横に浮くカハズ侯の問いに、ペレーグは肩をきゅっとすくめて見せた。
「ダウルはレイミアを通じて、あの人を利用していた。ティルムン語翻訳に心を注いでいた、あの純なソーマさんを利用しつくしたんだ。レイミアは、全部わかっていて進んでダウルに利用されてるんだから、どうでもいい。けれどソーマさんは……」
ペレーグは、ダウル・ナ・ディルトの≪計画≫については全く知らなかった。
レイミアの息子がじきにマグ・イーレのディルト家に引き取られる、という話は聞き及んでいたが、ティルムンへ連れ去られたことなどは知るよしもなかった。だから突然ファートリ老侯に呼び出され、テルポシエで会った際には、ペレーグはかなり狼狽したのである。
「ソーマさんは、うちの荘園がディルト家所有だったことには気づいていたんだと思う。だから俺に、商品を卸した先のティルムン商人にどうにかつなぎをつけてくれないか、とすごい勢いで頼んで来たんだ。息子がその伝手でティルムンへ運ばれていった可能性が大きいから、何としても手掛かりをつかまなきゃならん、と」
ペレーグの伝えたティルムン商人の連絡先を書きつけると、ファートリ老侯はその足で定期通商船に乗り、旅立っていったのだと言う。
「その後、俺はマグ・イーレまで行った。ダウルとレイミアに、どういうことなのかと直接話を聞きに行ったんだ。そこで初めて、例の計画を知らされた。……理術どうこう、って部分は省かれてたがね」
「……今は、知っているのに?」
計画の外にいるような話しぶりをしているが、結局はこの男もディルト侯の身内なのだ。だまされないぞ、という意味でアイーズは低く問いかける。
「レイミアはいい年こいて、頭ん中が花畑だ。その花畑の中心に突っ立ってんのがダウルだから、自分の息子が単なるお勉強留学をしてるんだと信じ込んでいるふしがある。……今でもだよ?」
小首をかしげて、その点はまあそうか、とアイーズは同意した。
「けど俺は、向こうから来たティルムン商人に理術の話を聞いたから」
ソルマーゴ・ナ・ファートリが旅立って一年後。マグ・イーレのディルト家から、北部のペレーグのもとへ急な使いが来た。病人を迎えに、テルポシエ港へ行けと言う。
テルポシエ西区の粗末な宿に伏していたのは、兄の直属部下と旧知のティルムン商人に監視されるファートリ老侯の姿だった。前年に旅立って行った時とは、あまりに変わり果てている。痩せさらばえて十歳も老けてしまったよう、起きているのに眠っているような衰弱ぶりだった。
ディルト侯の直属部下は、ほとんど瀕死のようなソルマーゴ・ナ・ファートリを荘園にかくまうよう、ペレーグに指示しただけで行ってしまう。
一体何があったのか、と質すペレーグに、ティルムン商人はぼそぼそと答えた。ペレーグがファートリ老侯に教えたのとはまた別の商人だが、本人もすねに傷があり、ディルト侯に対し反目のできない言いなりのような男である。
≪……子どもの時とおんなしで、俺たちはこの人をイリーに連れ帰るよう言われただけなんだ≫
テルポシエ行きの定期通商船がティルムン港を発つ前夜、商人の事務所にいきなり退役軍人らしき男たちが現れたと言う。
≪強く術を重ねがけしたから、しばらくは病人然としていようが。イリーに連れ帰って、侯の指示を仰げ≫
それだけ言うと、ファートリ老侯を放り出していったらしい。
「……術?」
アイーズは口の中でつぶやく。……もしかして、と。




