本物の奴隷を見たわ
「……あの人たち、奴隷なんだね。みんなここで、働かされているんだ」
「そう、ね……」
ヒヴァラのつぶやきに、アイーズは低くあいづちを打つ。
これまで方々で話に聞いてきた≪奴隷≫のいる風景を目前にして、アイーズは圧倒されていた。しかし、同時に不可解にも陥っている。
東部ブリージ系の人々は、ざっと見て二十人以上もいるだろうか。通りすがりに見る限り、鎖だの縄だのを手足につながれている人は皆無なのだ。
アイーズが幼い頃に読んだ絵入りの物語や、空想冒険小説のたぐいでは、悪者によって奴隷におとしめられ苦行を強いられている人々というのは鎖で自由を封じられていた。だから北部穀倉地帯の奴隷にも、アイーズはそういう姿を想像していたのに……。
――体格のいい男の人も、がっしりした女の人もたくさんいるわ。棒や草刈り鎌や、いろいろな道具類も手に持って使っている……。それなのにどうしてみんな、逃げ出そうとしないの!?
東部系の人々のより集まる一画を抜けると、もう一つ生け垣の壁がある。
その隙間を通ると、城のような壮麗な邸宅があった。
見上げてアイーズとヒヴァラはたまげる。テルポシエの南区、貴族用高級住宅地でたくさん見たような、イリー風の屋敷だ。
灰白色の石材を使った三階建て、玄関口と破風のあたりには石を草葉文様に刻んだ装飾がふんだんにあしらわれている。しかしイリーの屋敷と異なり、その家の周りには本物の花々がまるで見当たらなかった。
「馬はどうする? 厩舎に入れてもいいが、草地に放すこともできるよ」
アイーズはペレーグの提案後者にしたがって、大きな厩舎の裏にある囲い地にミハール駒を放した。
「こっちだよ」
ペレーグは二人を、正面玄関ではなく屋敷の裏口へいざなう。
そこだって相当に大きな戸口なのだが、入った先は厨房らしかった。巨大な中央卓に、年配女性が一人ぽつんと座っている。その人は立って、ペレーグのもとへ歩み寄ってきた。
「どうなってる?」
ペレーグの低い問いに、女性はぎゅううっと口を引き結び、無言で首を横に振る。
「そうか。……こっちだ、二人とも」
顔を伏せてしまった女性に挨拶もさせず、ペレーグは二人を奥へと誘導する。石造りの廊下は暗く、空気が淀んでいるようだった。気のせいかもしれない……ペレーグに続いて歩くアイーズとヒヴァラは、二人とも極度に緊張していたから。
しかし穴倉のような地上階廊下を抜け、突き当りの石階段を一階分のぼったところで、ペレーグはくるりと振り返る。上階の廊下は、だいぶ明るかった。
「ヒヴァラ。ここからは君が前で、アイーズは後ろに控えておくれ」
「はい……?」
――こうして有無を言わせず屋敷の奥に引き込んで、退路を断ったところでわたしたちを取り囲むつもりね……。ふん、今はつかまったふり。ファートリ老侯の所在を確実に突き止めてから、どどんと反撃でとんずらよ。
アイーズはさくら杖を握りしめて、ひたすら落ち着こうと考えていた。しかしペレーグはそっとヒヴァラに近寄ると、溜息をついて言うのである。やたらに悲しそうな雰囲気で。
「耳が遠くなっているから。近くに寄って、はっきりゆっくり話してやって欲しいんだ。……いいね?」
わけのわからないことを言われて、ヒヴァラは少し狼狽したようだった。しかしアイーズを見て、……きゅっと肩をすくめる。そう、アイーズの指示の届くところなら大丈夫なのだ、と言いたげに。
ペレーグはそこの壁沿いひとつの扉を、こんと叩いた。返事を待たず、がちゃりと開ける。
「ソーマさん」
室内にむけてゆっくり呼びかけるペレーグの声に、アイーズはびりっと衝撃を受けた……。
「息子さんが、来たよ」




