あやしい北部人ペレーグ! だまされないわよ
男はその辺にあった腰掛を引き寄せ、卓をへだてて向かい合うアイーズとヒヴァラの間に座る。
「早かったね。もっと後になるかと危ぶんでいたんだ、……間に合ってよかったよ」
「……?」
一挙に緊張したアイーズだったが、間に合うの意味がわからない。
「テルポシエで会った時、まだ名乗っていなかったね。俺はこのすぐ近くのカシュトーン荘園で、会計事務をやっているペレーグだ。よろしく」
「……ファダンの翻訳士、アイーズです」
「……その助手のヒヴァラです」
打ち合わせ通り、アイーズとヒヴァラは個人名のみを言った。貴族の出自であることは、なるべく知らせたくない。
そして男の言う素性も、テルポシエ大市の東門で会った時とは微妙に異なっている気がする。アイーズの記憶では、たしか北部とイリーとを仲介する貿易業者のように言っていたはずだ。ペレーグはやはり、こちら北部を本拠地とする農家の側にいるのではないか。
――ふん、言質なんて完全無視なのね。だまし合いの開幕よ?
表情を変えず、アイーズは豊かなる胸の内でさらに気を引き締めた。油断禁物!
「アイーズに、ヒヴァラね。もう昼めしは済ましたかい?」
人身売買に加担しているはずの男はしかし、どこまでも平らかな態度で言った。
「ええ」
「……そいじゃ、早速だけど行こうか。馬で来たんだろう?」
三人が立ち上がったところへ、あのおかみさんが近寄ってきた。ペレーグは振り返って、ひょいと目礼をしたらしい。
「グミエ姐さん。申し訳ないけど、今日は急ぐもんでこれで。この二人の勘定、俺のとこにつけといてもらえますかね」
えっ、と言いかけたアイーズに、ペレーグはうなづいた。
「ペレーグ」
しかしおかみさんの鋭い声が、切って入る。五十がらみのいなせなおばさんは、上背のある大きな体をぐっといからせて、ペレーグに強い眼光を向けていた。
「……あんたは話せるやつだと思っていたから、これまで何も言わずに来たが。自分からそれをする気になったのか?」
低くどすのきいた声で、おかみさんはペレーグに言った。
「もしもそうなら。今後この店には、一切の出入り禁止にするよ」
「……違うんですよ」
ペレーグは頭を振る。テルポシエで会った時は地味な外套姿だったが、今日は打って変わって丸すぐりのような萌黄色の上衣をひっかけていた。北部男性の普通なのだろうが、その上に疲れた中年男の表情をのせているのだから、アイーズの目には違和感を伴って映る。
「そうじゃないんです、グミエ姐さん。うちは今深刻な人手不足でね、出稼ぎにきてもらったんだ。それが済めばイリーに帰すんです……。何ならここ、姐さんちに寄っていかせますよ」
おかみさんは目を細め、ふッと鼻息をついた。
「適当言ってたら、ただじゃ済まさないからね。……お嬢ちゃんたち、気をつけて行きな?」
最後はアイーズに向かってぐっと優しく言うと、おかみさんはくるりと行ってしまった。
そこで三人は店を出る。アイーズとヒヴァラが厩舎から引き出したミハール駒を見て、白い牝馬にまたがったペレーグは素直に感心している風だった。
「こんなところまで、あいのりで来たのかい! 強くていい馬だ。駅馬じゃないよなぁ?」
「いいえ。貸して下さる方が知人にいたので、使わせてもらってるんです」
これも、あらかじめ用意しておいたせりふだった。
この男、ペレーグがアイーズ達を罠にかけ、捕えて奴隷にしようと企んでいるのなら、当然ミハール駒を没収して売りたいと思うだろう。
しかしアイーズの所有馬ではなく、また駅馬業者の持ち物でもない、第三者がからんでくる馬となれば、多少なりとも状況はややこしくなる。
甥っ子の馬を借りているという事実には変わりないのだが、アイーズはペレーグを牽制する目的で、こんな風に回りくどく答えたのだった。
「じゃ、ついて来てな。そんなに遠かないよ」
「はい」
あくまで従順を装って、アイーズはミハール駒の鼻先をペレーグ騎の方にむけた。……ここからが、勝負だと思いつつ。




