ロールキャベツ山賊風鍋、なんておいしいのよ!
「フォドラ……!」
おかみさんは切れ長の瞳をいっぱいに開けてアイーズを見つめ、確かにそう言った。
見返すアイーズは、驚いて戸惑う。
――えっ……何?? どうしてこの人、こんなに懐かしそうな顔をするの?
「福ある日を、奥さま」
とりあえず、アイーズは挨拶をした。そこにひょろん、とヒヴァラの長い腕がお盆を差し出す。
はっ、とおかみさんは我に返ったらしかった。
「おっと……。ごめんよ! あんたの感じが、知っている子にそっくりだったもんだから。ついびっくりしちまってねぇ! ……さ、何にするかい?」
ヒヴァラからお盆を受け取ったおかみさんは、気を取り直したように笑って注文を取ると、店の奥に引っ込んで行った。さっきの反応は、単なる人違いだったようだ。
入れ替わりに、男性給仕が水を持ってくる。広い店にはどんどん客が入って来て、ざわめきが満ちていった。
間を置かずに男性給仕が持ってきたのは、深い鉢皿になみなみとよそわれたつゆだくの煮ものである。たまなの柔らかいふとんの中に、つくね肉団子が気持ちよさそうにくるまっているのだ。
「ううッ、おいしいッ」
「おいしいけど……。はっきりイリー風のお料理よね、これ?」
先日の豆菜湯のようには香辛料がきいていない。野菜と肉のうまみを前面に出す味付け、そして鍋で長く煮込んだと思われる深いこく。
「本格的に東イリー……。テルポシエ風のお鍋、という気がするわ!」
「料理人がイリーの人なのかな?」
噛む中にしみあふれ出すつくねの肉汁、そしてたまなの葉のじわりとした甘みに、アイーズはうっとりしそうになる。
――ここ、敵地なのに! なんておいしいのよー!!
油断しちゃいかんと思いつつも、木匙を使う手が止められない。
ヒヴァラは自分とアイーズに、≪おなか安泰≫の理術をかけていた。身体に有害なもののにおいを機敏に察知できるよう、嗅覚をとがらせて食あたり水あたりの危険をさける便利な術だ(それでもあえて口にした場合、理術は責任を一切とらない)。エンベラの町で蜂蜜酒をもられた一件の後、特にアイーズは敏感になっている。
けれどここの食べ物飲み物からは、不審なにおいは全くしなかった。だからヒヴァラが三度めのお代わりを給仕に頼んでも、アイーズは心配しない。むしろ余裕しゃくしゃくでぱんを噛み、これは何のぱんだろうかと自問している。
――ああ、ようやくわかったわ。これは栗粉のぱんなんじゃないの!
アイーズは手中食べかけのぱん一切れを見つめた。ここまで膨らんでいるのだから、十割が栗粉というわけでは決してない。けれどずいぶん多く、栗が使われているようだ……。淡い乳褐色のぱんはしっとりとしていて、甘みがあった。
――栗粉……??
昼をまわった頃からか、しだいに客は引いていく。長台まぎわにぽつぽつ飲み客が居座るくらいまでになった。
お腹いっぱいヒヴァラに食べてもらった後、アイーズはこの隅の角席で粘るつもりでいる。蜂蜜をどっぷり入れてもらったはっか湯を飲みながら、あの男……テルポシエで会った北部商人はどう出てくるだろうか、と考えていた。
「……さっきのおかみさん。姿が見えないね」
ヒヴァラが低く言った。
「そうね。わたしのこと、誰か他の人と見間違えたみたいだったけど……。イリー人の知り合いがいるのかしら?」
ここまでイリーにかぶれた店のおかみさんだ。いて当たり前だろうな、とアイーズは思う。
「大事な人だったんじゃないかな……。たぶんもう、亡くなってる」
「えっ?」
「ほんの少しだったけど、おかみさんアイーズ見たあとに、声が泣きそうだったんだ。もういなくなっちゃった、なつかしい人に思いがけずあえてうれしい、って感じ」
「……」
「でも。そんなにうれしくなるほど、おぼえてられるってことは……。その人はいなくなってなんかない。おかみさんの中に、ちゃんといるんだと思うよ」
低くアイーズに言うヒヴァラの目は、心なしか眠そう……いや違う。とろりとして、どこか別のところを見てそう言っているようだった。さみしげな微笑。
アイーズはゆっくりと顔を振り向けて、長台のあたりを見る。主人らしき男性が、何かしらの酒杯を作りながら長い腰掛に座った客と話している。その脇では給仕が湯のみを拭いていた。
濃色髪をおしゃれにきりっと切り詰めて、白麻衣に黒い股引と男装のようないでたちだったおかみさんは、そこにいなかった。
いかにもの姉御肌、きっぷの良さそうな人だっただけに、ヒヴァラの指摘がアイーズには引っかかる。泣きそうだった、なんて……?
からん……。
扉がまた開いたらしい。それを見る位置に座っていたヒヴァラが言った。
「来たよ。あの人だ」
深呼吸をひとつ。アイーズはゆっくり頭を回して、そちらを見る。
まっすぐ大股に歩み寄ってきた男が、ふいっと二人の卓子前に立った。
「来てくれたんだな。ありがとう」
そう言ってくる顔が、アイーズにはなぜか親しく見えた。さみしげな、微笑。




