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ひとりで御せるようになったのよ、ヒヴァラは!

・ ・ ・  ・ ・



 その後も一刻交代で黒馬の御者役を代わりながら、アイーズとヒヴァラは北へ伸びる街道を進んでゆく。



「あっ、ヒヴァラ。あの丘のむこうに、小さな集落がみえるわ。ちょっと寄って、今夜と明日の朝のぱんを買っていきましょうか」



 午後も終わり。少々日の傾きかけたころに、アイーズは右手をのばして遠方に見える家々のかたまりをさし示した。


 目的地の最寄り町≪ユーレディ≫までは、まだまだ距離がある。


 今日中にその近くへ到達するのはむりがある、とみてアイーズは早々に野宿に向けて備え始めていた。


 地図上、宿のありそうな規模の町や村はいくつか点在しているが……昨夜のことがある。


 町なかであれ外であれ、結局危険が伴うのなら、ヒヴァラの草編み天幕で気兼ねなく過ごす方がよっぽどいい。


 お金を払って痛い目にあう、というのがそもそも理不尽である。



「ごめんよ、アイーズ。けさエンベラの町で買ったぶん、昼にぜんぶ食べちゃった……」


「いいのよ、ヒヴァラ。こっち北部穀倉地帯のぱんって、やたら軽いものね!」



 おいしいからついつい量を食べてしまう上に、腹もちがいまいちよくないのである。


 イリー諸国にいる時よりも少し多めに買った方がいいな、とアイーズは思っていた。


 そうして着いたところは、こぎれいな集落である。


 遠目に見た時は農家の寄り集まりくらいの規模に見えたのに、実際には小さな商家がゆるやかな下り坂にそって連なっていた。


 村壁や門はなかったけれど、細めの道にミハールごまを乗り入れるにはちょっと抵抗のあるところだ。



「じゃあヒヴァラ、わたしが一人で行ってくるし。さっき越えた水場のあたりで、君は待っててくれる? そのぶんミハール駒にも休憩させてあげられるでしょう」


「ひとりで大丈夫かい……?」



 村の手前、馬上でアイーズが振り向くと、ヒヴァラは心配そうにやぎ顔をしぼませて聞き返してきた。



「さすがに、いまの時間帯なら危ないことはないわよ。ちょっと行ってぱんを買ってくるだけなんだし……。ああ、でもカハズ侯に一緒に来てもらおうかしら?」


『はーい、おともしましょ』



 ヒヴァラの外套頭巾ふちから、小さなかえるはぴこんと跳んで、アイーズの肩先に着地した。



「うん。たのんだよ、かえるさん」



 するり、とアイーズはミハール駒から降りる。代わって手綱をとったヒヴァラを見上げて、うなづいた。



「じゃあ、また後でね」



 空になった麻袋を手渡すと、ヒヴァラはミハール駒の頭をゆっくり返して、少し離れた林間の水場へと向かっていった。



『あとでなー。蜂蜜はちみっちゃん』



 そのすぐ後ろ、もよりと浮き出た赤犬ティーナが、ばちんと三白眼の片っぽをつぶってよこす。


 赤いしっぽをふさふさ振りつつ、ティーナは黒馬の後ろについていった。



『んー、どうしました? アイーズ嬢。なにか楽しいことが……?』



 ふふふ、と笑ってアイーズは村の中心部のほうへ歩き始める。



「ヒヴァラが一人で騎乗しているところ、こっちに帰ってきてから初めて見たんだもの」


『ああ、そうですか!』



 はた目から見ても巨大な黒馬の上に、これまたひょろんとのっぽのヒヴァラが乗っているのは、なかなかいけてる・・・・構図である。


 最重装備の鎖鎧や軽量鎖付き革鎧を外套の下に着て、ごっつくかさばった騎士が軍馬に乗っているのとは全く趣がちがう。


 しいて言うなら……。乗馬競技大会のために、地方から首邑みやこへ集まってくる選手たちと似たような雰囲気だった。


 彼らはヒヴァラみたいに長細いことが多いし、立派な馬たちに時々やさしく声をかけたりして、朗らかに接しているところも同じだ。



『沙漠を脱出してファダンについたばかりの頃、ヒヴァラ君は馬を御せなかったのでしたね?』


「ええ、そう。でも今は、勘がばっちり戻ったみたいね! よかったわ」



 ひと気のほとんどない村の道をのしのし歩いてゆきながら、アイーズはカハズ侯に小声でしゃべる。


 他の国ではどうだか知らないが、ファダン騎士修練校では乗馬訓練が男女共通、必修だった。


 ティルムン語とちがって全く未経験だったにもかかわらず、ヒヴァラは乗馬だけはうまかったのだ。練習用の牝馬たちがやたらになついて、よく指示が通っていた。



『……乗馬だけ・・?』


「他の実技は苦手だったみたい。剣とか弓とか……。そういう武道科目は男子と女子と別々だったから、わたしは見たことがないんだけどね」


『あー、なるほど。剣を握っているヒヴァラ君って、たしかに想像できません』



 修練校の男の子たちは、ほとんどがそういうものを構えてさま・・になりそうな子たちばかりだったな、とアイーズは思う。


 ただ、どの子の顔も名前も、ぼんやりとしか思い出せない。今はもう皆、ファダン騎士となって首邑みやこその他いろいろな町に配されているのだろうか。


 唯一鮮明に覚えている子やぎ顔の少年が、大人やぎ顔になってすぐ近くに戻って来てくれたことは、ほんとに幸運だったとあらためてアイーズは感じた。



「ぱん屋はにゃあね、にゃーの四つ辻を、にゃあ左に行ったあたりにゃあよ。ちっさいとこにゃけんど」



 道に面した工務店かなにか、大きく開いた扉のすぐ内側で店番をしていたばあさんに、アイーズは場所をたずねてみた。


 しかし潮野方言があんまり聞き取れない。ところどころに≪にゃあ≫とはさまってくるあたり、アイーズはばあさん本人でなく、勘定台の上に座っているでっかいねこと話している気になった。


 にゃあにゃあばあさんの身振りにしたがって、アイーズはどうにか四つ辻を左にまがった。そこにも小さな商家がたくさん並んでいる。



「あ、あそこかしら」



 少し広くなった道の向こう、それらしき店がまえを見つけてアイーズはのしのしと道を渡りかける。


 ……と、ふいに視界に入った鮮やかな赤のいろどりに、はっと目をみはった。



――え、ヒヴァラ……じゃ、なくて??



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