ヒヴァラはひもなんかじゃないわよ!
照れくささを隠す意味でも、アイーズはびしッと背をのばしてミハール駒を御した。
ずんずん、のしのし、街道を北に進んでゆく。
穏やかに晴れた日で、そよりと吹く風も柔らかい。
すれ違うのは、普通の人々ばかり。通行人の衣類が派手なのに慣れてしまえば、どうってことない道行きである。見通しのよいところが続いて、怪しい気配も感じない。二人は順調に距離をかせいだ。
天気がよいから、道端で昼休憩するのも気楽である。
草地にミハール駒を休ませて、エンベラの町で買っておいた雑穀ぱんを頬張るヒヴァラが言った。
「全然考えてなかったんだけど。北部のお金って、イリーのとおんなしなんだね」
「ええ、そうね!」
灰色に浮き出たざらざら岩肌、ヒヴァラの隣に腰かけたアイーズは、ぱんを飲み込んでからうなづいた。
一応、北部穀倉地帯の固有通貨もあるにはある。しかし基本的にイリー通貨の方が強かった。ここまでの道中、アイーズは硬貨も小切手も滞りなく使えている。
「……アイーズ、お金大丈夫なの?」
「ええ。大丈夫よ!」
嘘ではなかった、まだ余裕はある。
しかしヤンシーのくれた現金がなければ、危なくなりかけていたのも事実だ。
なつかしき元不良の末兄に向け、アイーズは豊かな胸のうちで感謝した。とっとと返しやがれごるぁ、という声も聞こえてきそうだが。
『蜂蜜ちゃんのひもっぷりが、板についてきよったな。ヒヴァラは』
もよっと湧いて出たティーナ犬が、二人の間の足元で言った。
「……ひも??」
あちゃあ、と言いたげに三白眼の下をがくーんと下げて、ティーナ犬はヒヴァラを見上げる。
『知らんのか。女の子のお金に頼り切って生きてるお前みたいなんを、古来いにしえの時代より【ひも】と呼ぶのやで』
げふぉっ、アイーズは雑穀ぱんを喉に詰まらせかけた。
「ひも……。なんで? 俺がひもみたくひょろひょろだから?」
『違うちゅうねん』
「ティーナってば、もう。ひもって言うのは、怠け者のことじゃないの。ヒヴァラは理術使ってきりきり立ち働いてくれてるんだから、ひもには当てはまらないわよ」
『いやいや蜂蜜ちゃん。働き者でまめなひもかて、おるで~??』
『……そもそも何にちなんで、ひもと言うのか……。わたくし語源を存じませんねぇ』
いつも通りのなごやか談になってしまったが、お金の話題でアイーズはふと、自分の現実を思い出した。
――そろそろ校正された翻訳原稿が、ファダンの実家に届いている頃かしら? いえ、まだのはずよ……。
ファダン浜域の長兄アンドール宅を発って、五日。
ここから今日あしたでユーレディ入り、滞りなくヒヴァラの父の救出ができたとして……。直でファダンに帰るとしても、復路に五日はかかる。
テルポシエ領を通らず、山間ブロール街道を通ればもっと早くにファダン領へ行けるだろうが、あの街道は危ない。ディルト侯配下の妨害も、まだまだ心配である。
どっちみち自分がファダンの実家にたどりつくのと、原稿が届けられるのはどっこい……あんがい同着になるかもしれない、とアイーズは思った。
――って、だめだめ。今はヒヴァラのことに集中しなくっちゃね。色んなことに気を散らしちゃあ、うまく行くものも行かなくなるわ!
革袋の水をごくっと飲んで、アイーズは気持ちを引き締めたつもりだった。
陽はまだまだ高い、今日はもっと先まで進めるはずだ。
「……さあ、皆。そろそろ行きましょうか」
「うん!」
寂しいようなやさしい笑顔、これがヒヴァラのふつう顔。それを見上げて、アイーズはふッとうなづく。
そうだ集中しなくては、……この笑顔をもう二度と、手放さないためにも。




