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とっても気になる、不思議な木ね?

 

『これは聖樹・・や。赤子べべの聖樹としか、思われへんわッ』



 アイーズとヒヴァラは、目を丸い点にした。ひじょうに描きやすい。



『聖樹って……。ティルムンの国章になっている、あれですか? ティーナ御仁』



 ふだんから大きな丸い双眸をぎょろっとさせて、カハズ侯がティーナ犬に問うた。


 アイーズはティルムンの国章を頭の中に思い浮かべる。だいぶ具象化されてはいるが、たいてい白く表現されるそれは、確かに樹木であった。


 西方の文明発祥地ティルムンは、アイレー大陸の西側沿岸部、大きな河口の水緑帯おあしすの上にある。


 三方を沙漠に囲まれた地でありながらも、≪白河≫とよばれる大河の流れが作り出す豊富な水量と肥沃な土によって、ティルムン大市とその一帯は高い農業生産をなしていた。ティルムンの生命線たるその≪白河≫の水源は、一本の巨木下にあるとされる。それが≪白き沙漠≫のまん中にある≪聖樹≫なのだ。


 巨大な樹が地下水脈をくみ上げて河の源流をつくらねば、文明はおこらず人は生きられなかったのである。聖樹がティルムンにおける唯一の崇拝対象であることを、アイーズは知っていた。



『俺も小っさい頃にようもうでとったし、聖樹の姿かたちはしっかりおぼえとんねん。ほんものは、ものごっつうでかくてな? テルポシエの城壁くらいにずどーんとしてんねんけど。それを母やんおかんとしたら、こいつはまさに赤子べべや! どえらいそっくり!』


「……その聖樹って、こんな風に光ってんの? やっぱり」


『いや、光らんな。けどよう見てみ、ヒヴァラ。この白さ、理術の光とおんなしやろが』


「ほんとだ……」


『理術士の使う杖は、その聖樹の落ち枝を加工したもんなんや。聖樹に力を分けてもらうからこそ、めいっぱいの威力が出せるんやで』



 へええ、とアイーズは感心する。たしかに小さな木の輝きは、ヒヴァラが草の天幕を編み出すときに出てくる白い光とそっくりだ。野犬にかまれた傷を癒してくれたのも、この白い輝きだった。



『にしたって……。一体なんでまたこんなとこに、聖樹のひこばえがあるんかいな?』


「誰かティルムンの人が、種まいたとか」


『聖樹はなみの木とは別もんや。花や実や種をみたもんはおらん。つうか、唯一無二の存在やったんとちゃうのかいな……??』



 誰よりも、ティーナがいちばん困惑している様子である。



「……よくわからないけど。ヒヴァラはさっき、誰かに呼ばれて引っぱられた気がしたんでしょう?」


「うん……」



 見上げてくるアイーズに問われ、ヒヴァラは自信のない様子で答えた。



「それじゃ、この木が君を呼んだんじゃないの?」


「……しゃべるかなぁ。木が……」



 アイーズはティーナ犬を見る。



「ねえ、ティーナ。あなたはティルムンにある、本家ほんもとの聖樹を見たことがあるんでしょう。そこではどういう風に、お参りするの?」


『うん。根っこに触って、まずはおおきにありがと~って感謝すんねん。ティルムン人が生きてるんは、聖樹が水を送って川にしてくれてるからこそ、やねんか? そこんとこの感謝や。ほいで、あれば願いごとするな』


「そう。何か贈りものをあげなくていいの?」



 イリー社会の守護神は黒羽の女神様だ。各地にある石の彫像に、時おり花を飾って女神に贈る風習は、イリー諸国に広く共通している。



『お布施ふせあげるな。けどそれって、聖樹のまわりの土地管理とかやってる人の給金にまわってるはずやからー、べつに聖樹に直接行くわけとちゃうねん。いちばん大事なんは、とにかく自分に起こってるいいことに対しての全面感謝や。別に聖樹のおかげちゃうやろ、とか突っ込みなしでな? そうやって素直に色々ありがたく思っとけば、聖樹としても気ぃ良くしてー、つづく願いごとが成就するんを手伝ってくれる、て。そう言うてたな~』


「……誰が?」



 ぽそりと問うたヒヴァラに、ティーナ犬は小首をかしげて見せる。



『誰やったかいな。そのむかし、俺のまわりにおった大人かな』


「……でもとにかく、根っこあたりに触って。感謝とお願いをすればいいのね?」


『うん、そうや。けど口に出すんとちごうて、胸ん中で言うんやで? それは蜂蜜はちみっちゃんと聖樹だけの、会話・・になるんやから』


「ふうん。わたしと聖樹との、会話ね……」



 とび色巻き髪をふあんと揺らして大きくうなづくと、アイーズは光る木のそばにしゃがんだ。右手をのばして、そのずんぐりした根もとに触れる。



――どうもありがとう。いなくなっちゃったと思ってたヒヴァラにまた会えたこと。わたしはとっても嬉しいし、ものすごい幸運だったと思ってるわ! 願わくば、その還ってきたヒヴァラが、呪いを解いて幸せになれますように。



 豊かな胸のうちで、木に向かってそう話しかけてから、アイーズは手を離す。別段、光る木に変化は見られない。


 アイーズの右脇にしゃがみこんだカハズ侯も、そーっと根元に手をのばした。すかさず、ティーナが注意する。



『かわずのおっさん。手袋とりよし』


『あ、そうでしたね』



 怪奇かえる男は、古風典雅な革手袋を取った……。その手を見たアイーズは、内心で驚く。


 少々ふしくれ立ってしわが寄っているものの、カハズ侯の手はすべらかな人間の手だったのである。怪奇かえる男の頭のように緑色でもなければ、水かきもついていなかった。


 なでるようにゆっくり根元に触れてから、カハズ侯は立ち上がる。



『ヒヴァラ君も』


「……」



 アイーズの左脇に立ち尽くしたまま、ヒヴァラは動かない。それをちらりと上目づかいに見て、ティーナが木の近くに寄った。


 ひょい、と前脚を根にくっつける。赤犬はやがて、振り返った。



『なんで笑いこらえとんねん。蜂蜜ちゃん?』


「ごめんなさ……ぶふっ。だって犬が……木に【お手】してるって、何かもうかわいいって言うか、……くくくくく」



 その時ふいに、ヒヴァラがアイーズの隣にしゃがんだ。アイーズはつぼ・・に入りかけていた笑いを引っ込める。


 ひょろ長い指の大きな手のひらを根元にくっつけて、だいぶ長い間ヒヴァラは沈黙していた。まじめなやぎ横顔は、しかし遠くを見つめて夢見るようでもある。


 やがて深いため息とともに、ヒヴァラは手を離した。



「……いろいろと気持ちがまとまらないから。とりあえずの正直なところだけ、木に話したよ」



 ぽたり。


 光る木の梢からその瞬間、何かが落ちた。




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