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アリエ老侯は、不思議なのほほん騎士だわ!

・ ・ ・ ・ ・



「年寄り一人住まいでしてね。使用人も夜は帰って、私一人なんですよ。お風呂から出るのに手間どっちゃって、あはは」


「ほんとの本当に、申し訳ありません……」



 玄関脇の小さな客間に、アリエ老侯はみずから火を入れてくれた。アイーズとヒヴァラはその暖炉の前に、濡れた外套を広げさせてもらっている。


 年代ものの立派な長椅子に小卓を挟んで向かい合うミルドレ・ナ・アリエ老侯は、じじ向き深緑色の上下ねまきに厚みのある黒い毛織室衣へやぎを引っかけていた。実にくつろいだ様子である。髪を洗っていたらしく、白い手ぬぐいが頭にぐるぐる巻きっぱなしだった。


 アイーズの渡した白い球を、左手に包むようにして時々転がしている。そうして二人の正面に座るアリエ老侯は、のほほんと力のぬける調子で話した。



「いえいえ、ファダンのバンダイン侯にはいつもよくしていただいてますから。それでお嬢さん、私の助力が必要と言うのはどんなことでしょう?」



 やたらのんびりした雰囲気の人だったけど、アイーズはアリエ老侯の柔和な笑みの中に、隙がまるでないことに気づいていた。


 ただの好々爺なんかではない。それにはヒヴァラも勘づいているらしい。長椅子となりに座るヒヴァラの緊張が、アイーズにも伝わってくる。


 さすが高官、テルポシエ宮廷のもと重鎮騎士。油断は絶対にしちゃならないと気を引き締めて、アイーズは話し出した。



「わたし達は、北部穀倉地帯へ行きたいのです。こちらヒヴァラ・ナ・ディルト君の実の父親である、ソルマーゴ・ナ・ファートリ老侯を救うために」



 浜域の家を出る際、長兄アンドールはアイーズに指示していた。もしアリエ老侯に会うことになった場合、どこまで話すべきなのか。


 ヒヴァラが理術士であることはもちろん伏せ、ティルムンに長くいたことも知らせない。なるべく目の前の問題だけに集中して助けを求めるように、と言われていた。


 それに従って、アイーズは行方不明となっているヒヴァラの父が北部業者によって拘束され、奴隷となっている可能性がある、と述べる。真偽のほどを確かめ、願わくばファートリ老侯を救出するために現地入りをしたい。ついては安全保障のための特権証書をもらえないだろうか、というところに焦点をしぼって頼み込む。



「……≪治外法特権≫の証書を?」


「ええ。どうかお願いいたします」



 かしッ、と頭を下げて頼むアイーズとヒヴァラに向かい、アリエ老侯はなんだか慌てたような声で言った。



「ちょっと、……ちょっと待ってくださいよ? お二人が欲しいのは、特権の証書だけ・・なのですかー?」


「……だめでしょうか~」



 顔を上げたヒヴァラが、情けない声を出している。



「いやいやそうじゃなくって、ね……。あなた方二人っきりでしかないのでしょ? お父さんを北部の悪徳業者の手から救いだすために、護衛が欲しいとかそういう話じゃ……ないのですか?」



 アイーズとヒヴァラは、ぽかんとした。



「ちがうの?」



 老騎士は、頭をかしげてアイーズたちを見ている。



「いえ……。出稼ぎ翻訳士として、だまされたふりをして探るつもりなんです。だから仰々しい護衛は、むしろ要らないと言うか……」


「えええええ、大丈夫なんですかそれー? ユーレディって言ったら、まぁテルポシエ側に寄ってますし、遠いところじゃないけれど……。 うららららら、なんだか心配になってきたなぁ。ええ、確かに二人なら目立たないだろうし向こうも油断するかもですけど、怖い人も多いですからねー、あっちは。 ……っって、ええ、若い人たちだから何とか切り抜けられますか……。うーん、そうですね、お嬢さんも治外法特権のことを知っているくらいなのだし、頭が回るから任せても大丈夫そうですかね……。そうですね~~??」



 年齢は六十代の初めくらい、だろうか。


 アリエ老侯は実に変わったおじさんだった。アイーズ達に向かって話しているはずなのに、何だか別の人とも意見をかわしているような感じ。自分で言ったことに自分で答えを見つけ、一人で妥協と納得をしている話し方である。



「それじゃあ、ちょっと上の書斎で証書を書いてきましょう……。ここで待っていてください。お湯が煮えているから、良かったらどうぞ~」


「はい、いただきます」



 アリエ老侯は、すーいと客間を出て言った。


 二人も立ち上がって、暖炉にかけられた鉄鍋からおたまで湯をすくう。炉の上に置かれた陶器ゆのみについですすって、ほーとした。



――不思議ね。暖炉の炎だけじゃないみたい……。何だか体のまわりがもこもこして、暖かいわ?



 アリエ老侯は変わった人だという印象を持ったけど、この屋敷この客間の雰囲気を、妙に心地よく感じるアイーズだった。



「……もこもこの高級羽毛ぶとんか、それよりもっと……ずっといいものにくるまれてる気がするんだけど~??」



 長椅子となりのヒヴァラも、とろんとしたやぎ顔でうなづく。温もりに包まれて、二人はしばらくぼうっとする。



「もこもこ羽毛かあ……。実は俺も、そういう気がしてる……」


「暖炉が高級だと、こうなるのかしらねー。なんだか良い香りもするし、燃料が違うのかも……」



――泥炭よ~! あっそうか、ファダンにはないんだったわね!



「え?」



 かぼそく女性の声が聞こえたような気がした。……ひとり住まいで、使用人は帰ってしまったとアリエ老侯は言っていなかったっけ……?


 ふとアイーズが顔を上げたところで、アリエ老侯が客間に入ってくる。上階へ行ったついでに手ぬぐいも取ってきたらしく、不思議な色のちりちり髪が暖炉の炎を映してきらめいていた……。





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