ヒヴァラのお父さんが、北部穀倉地帯に!?
アイーズは目を閉じて、開ける。
息をゆっくり吐いて……もう一度、書類を上から読んでみた。
≪カシュトーン≫と言うところの農家が、前年度産・有機栽培の栗粉を納品する、という内容のごく簡潔な書類である。
在所は詳しく書かれているが、北部穀倉地帯の地名だった。それがどこなのか、アイーズには見当がつかない。日付は今から二十日前になっている。
「……この栗農家の名前に、おぼえがあるわ」
「うん。うちの床下に、父さんが残していった書類に何枚か、同じ名前があった……。けどアイーズ。これ、今回は墨が向こうのやつだよ」
異様にくっついているヒヴァラが、何とか動揺を抑えようと努力しているのはアイーズにもわかっていた。
「ええ、本当ね。だいぶ青みがかって見えるし、イリー産の墨汁じゃないんだわ。……つまり」
『つまり?』
『つまり~~??』
カハズ侯とティーナが、ほぼ同時に問うてくる。
「あのおじさんが翻訳士の斡旋をしているこの栗農家現地で、ヒヴァラのお父さんが二十日前、この書類を書いたということ」
「……俺の父さんが。北部穀倉地帯にいる……?!」
「そうよ、ヒヴァラ。君のお父さんは生きていて、北で元気にしているのよ!」
ヒヴァラは言葉につまった様子で、アイーズを見下ろしている。
喜んでいいのか悲しむべきなのか、自分でも途方に暮れているらしい。
「……かえるさん。どう思う?」
『わたくしは、お二人が見ている床下の書類と言うのを拝見していないので、何とも言えないのですが。……仮にこれを書いたのがヒヴァラ君のお父さん、ファートリ老侯ご本人だとして。今日会ったあの男性が、たまたま偶然アイーズ嬢に話しかけ、これを渡したということは……まずないと思います』
穏やかな言い方だったが、カハズ侯の言葉にアイーズはどきりとさせられた。
「わたし達のこと……ヒヴァラが息子と知った上で、ファートリ老侯の情報をちらつかせている、ってこと?」
怪奇かえる男は、神妙な面持ちでうなづいた。
『ええ。不肖カハズ・ナ・ロスカーンの勘ですとこれは思いっきり、べたべたの罠です。いわばお父さんを人質に取り、それをねたにして、ヒヴァラ君を北部穀倉地帯へとおびき寄せているのです』
『うむ。確かにべたべたな展開やな! あらすじとしては王道やと思うで、かわず。けど結局、あいつ何なん? やっぱマグ・イーレの手のもんやろうか』
ここでアイーズとカハズ侯は頭をひねった。ファートリ老侯の所在をねたにヒヴァラを誘い出そうとしているのなら、ディルト侯の配下に間違いないのだが……。
「うーんっ」
突然ヒヴァラがしゃがみこんで、アイーズの足元に寄りかかっていたティーナ犬を引っぺがす。そのままひょろ長い腕に抱え込んで、首根っこのあたりをもしゃもしゃ揉み始めた。
『うぉいこらッ、何すんねんッ』
「わからないッ……。あの男の人、北部の東部ブリージ系にもイリーの人にも見えたんだけど、話してたのは潮野方言に寄ったイリー語だったんだ。それも本当に自然な、北部なまり……! たぶんそんなに、奥じゃないとこの出身だと思うけど!」
ティーナは鼻にしわを寄せて全力で迷惑がっているが、ヒヴァラはがん無視して犬の首まわりをもふもふしている。かわいがっているわけでは決してない、単に緊張の発散行為であるらしかった。
「マグ・イーレっぽい間延びは、ぜんぜんなかったんだよ。だから伯父さんの手下って言うのは、おかしいような……。あ~、でもファダンのそばで会ったにせ巡回騎士にも、なまりなんかなかったんだ。うまく隠してるだけなのかなぁ……」
『ヒヴァラ君、潮野方言のなまりも聞き分けられるのですか?』
怪奇かえる男が問うている。
「うん。一緒に≪沙漠の家≫にいた子たちの出身地のなら、わかるよ」
『そうですか……。ね、アイーズ嬢。男性からの直接伝言として書かれている、待ち合わせ指定場所ですけど。あれはテルポシエ寄りの地域にある町ではないですか?』
ぺらっと書類を裏返して、アイーズはカハズ侯にうなづく。
「ええ、そうね。名前だけしか知らないけど、ユーレディって言ったら北部穀倉地帯へ入って、すぐの主要都市だったと思うわ」
『それではやはり、ヒヴァラ君のお父さんはそこにつながれているのかもしれません……』
悲しげに言ったカハズ侯を見上げ、ヒヴァラはティーナをこねくり回す手を止めた。
「かえるさん。つながれてるって、何?」
『……ヒヴァラ君、アイーズ嬢。これからわたくし、ものすごく嫌なことを申します。憶測にして愚推、悲観的想像です』
「なあに? カハズ侯」
『もったいぶらんと言いよし』
『はい。ファートリ老侯は、あの男性のかかわっているユーレディ付近の農園のどこかで、奴隷として使役されているのではないでしょうか』




