親切なおじさんに、翻訳リクルートされたわ!
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アイーズとヒヴァラの二人は、再びテルポシエ大市へと戻ってきた。
緑の野と湿地帯の向こうに浮かぶ白亜の城塞都市、その市壁東門から入市する。身分証を草色外套のテルポシエ巡回騎士に見せて、ミハール駒を公共厩舎に引いていこうとしたところ。
「ちょっと」
後ろから声をかけられる。
衛兵かと思ってアイーズが振り向くと、知らない男性だ。
マグ・イーレのディルト配下だろうか、と一瞬アイーズは身構えたが、男は潮野方言に寄ったイリー語にてこう続ける。
「福ある日を。きのう貿易業者の店で、会わなかったかね?」
「えっ、……ああ!」
アイーズが落とした帽子を、拾ってくれた紳士だ。
「そのせつはご親切に」
「いや、いいんだ。……あのね、こんなとこで話して本当に申し訳ないんだけど。お嬢さんは翻訳士なんだよね?」
ヒヴァラが警戒しているらしい、すうーっとアイーズの背後に寄っている。
アイーズは一瞬、男の姿を眺めたが……とくに怪しいとは思えなかった。ごくごく普通の目立たない顔をした、五十がらみの男性である。
墨で染めたような地味な色の外套を着て、書類かばんらしきものを肩にさげていた。男性がつばの狭い帽子をさっと取ると、だいぶ後退した暗色の髪が、ちらりと耳の脇にみえる。そこで初めてアイーズは、おや? と思う。
――あら? この人、東部ブリージ系なんだわ! ちょっと見にはわからない、イリー人のような顔だちだけど……。
「あのね。俺は北部穀倉地帯との貿易つなぎをやってるもんなんだけど。向こうの現地で、翻訳作業をしてくれる人を急募しているんだ」
「えっ?」
では男性は、北部人ということなのだろうか。たしかに北部穀倉地帯に住む人々は、東部大半島原住のブリージ系と同じ容姿をしているが。
「でっかい農家で書類を作ってくれてたじいさんが、病気になっちまってね。至急の代打を探してるんだよ。長期住み込みで来てくれる人なら大歓迎だけど、短期でも構わないから、ぜひとも人手が欲しいんだ。報酬は割増しにはずむよ」
元々のつくりがしょんぼりしたような顔の男性は、本当に困った表情でそう言う。
「そうなんですか……。でもごめんなさい、わたし北部へは行けないわ」
「うーん、そうだよねぇ……。そちら、旦那さん?」
ふいと男性に顔を向けられて、ヒヴァラがぴしッと固まったのがアイーズにも気配でわかる。
「いいえっ。助手なんですのよ! わたしの翻訳助手!」
力強く言ったアイーズのはな声に、はっとヒヴァラは我に返る。
次に何か勘違いされたらこの手で行こう、とあらかじめ決めておいたねたである!
「はいッ、高いところに手が届く助手です!」
限りなく真実に近い嘘っぱち! しかし男性はヒヴァラを真面目にじいっと見返して、うんうんと納得しているようだった。
「そうか……そうだよねぇ、きみも長細いしねぇ~!」
言いつつ、肩からかけたかばんを開けて、小さな布巻きを中から取り出した。
「でもまあ、とりあえず募集要項だけでも見ておくれ。ここに勤務先や仕事内容、報酬のことを詳しく書いておいた。それを読んで気が変わったら、いつでも来てくれて大歓迎だよ。あるいは、他の翻訳士仲間にまわしてもらえると嬉しいね」
「ああ、そういうことでしたら。お友達に声かけてみます」
アイーズが布巻きを受け取ると、男性は安堵したような表情になった。
その顔が少々若い、五十代かと思ったが本当は違うのかもしれない。
「それじゃ、後でゆっくり、じーっくり読んでみて。俺はこれから北へ帰るところなんだ。ぎりぎり直前できみらに会えて、ほんと助かった……じゃあね」
穏やかに言うと、男性は東門の方へ立ち去って行った。




