伝説の≪怒涛のミサキ≫目撃談よ!
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うちを出る時、シャーレイお婆ちゃんは西の方を眺めてから二人に言った。
「またちっと、夜にかけてお天気がくずれるようだ。道中、気をつけてお行き」
確かに明るい夏の空ではあるけれど、西のかなたに白く雲がごわついているのが見える。アイーズとヒヴァラは≪語る人々≫シャーレイお婆ちゃんに別れを告げて、村はずれにつないであったミハール駒に乗った。
草編み天幕の野宿は快適だけど、雨の中では少々めんどうなこともある……用足しとか。
この周辺には水場もあまりないようだし、ヒヴァラが危険をおかして海水を汲みに行くのが心配なアイーズは、テルポシエ市内に戻ろうと提案した。
「いいの? 俺はほんと、どっちでもいいんだけど」
「……せっかくまた一緒になれたんだし。今日の夜は、がつんとあったかいものが食べたいわ! テルポシエはお鍋料理で有名じゃないの」
「そうかッ、そうだね! その通りだねアイーズ、ぜひテルポシエへ行こうッ」
呪いは複雑でも、胃ぶくろは単純明快なヒヴァラである。
テルポシエ大市へ、西向け田舎道をゆく。今回はアイーズが御した。
「しかしアイーズ、テルポシエ鍋をたべるその場合……。俺の麻袋の中に入っている黒ぱんは、どうしたらよいのだろうか?」
「黒ぱんって言っても、あれは蜂蜜と乾燥果実いろいろの入ったほぼ焼き菓子よ。日持ちはするんだから、明日以降に持ち越したって平気でしょう」
「そうか……日もち。明日たべてもいいと言うこと……」
ヒヴァラ君には日持ちの心配を考える必要ってないのでは、と内心思いつつも決して突っ込まない優しいカハズ・ナ・ロスカーンは、頭巾ふちの中でじっとしていた。
シャーレイお婆ちゃんのところで、呪いの深刻さを再び痛感した反動かもしれない。アイーズとヒヴァラは、じつにどうでもよい話ばかりしながら距離をかせいでゆく。
「鍋ものっていうのはさ、鍋で煮込んだ料理だから鍋っていうんだろ。鍋そのまんまで、どーんと出てくることはないのかな?」
「熱すぎないかしら」
「うん。でも鍋そのものを見ないことには、本当に鍋で料理したのかどうか、わからなくないかい? ほんとの本当に真の鍋って言うなら、それこそ食べる人の目の前で、鍋から取り分けるべきというか……」
「むしろ、食べる人が作りながら食べるとか?」
「ええ~? それはさすがに不可能じゃないのかい、アイーズ」
「そう? 外で焚火の上にじかにお鍋をかければ、できないことはないかもよ。……うーん、西日が光ってやたらまぶしいわ~?」
はからずも鍋論でアイーズが領域突破をしかけた、その時である。
『蜂蜜ちゃん、横によけよしッ。うしろから暴走してるやつが来よる!!』
「えっ」
突然、見えないティーナが緊張した声を投げてきた。
アイーズがさっと振り返ると、本当だ! 土ぼこりをたてる勢いにて、ずどどどどど! 田舎道の後方から突っ込んでくる馬車がある。
すばやくミハール駒を路肩に寄せ、そこにとまってやり過ごした。
「ありがと――ッッッ」
きんきんした甲高い声が、馬車とともにずびゅんとアイーズ達の脇を通り過ぎて行った。
「げほッ」
「ぺっぺっ」
顔のまわりに煙る土ぼこりを手で払いながらも、アイーズはびっくりしている。
一瞬だけ目に入ったが、御者台にいたのは小柄なおばさんだったのだ!
「すんごい速さだわ! ヤンシーが本気になって馬をとばしても、あの爆走には絶対に追いつけっこないわよ。何かあったのかしら!?」
「……あれ、駅馬業者のおばさんだ」
「えっ?」
くるりと振り返ると、ヒヴァラが頭を振って土を払い落としている。
「きのう乗ってきた時に、お客たちが話してた。岬の集落で急病人とか、けがした人が出たら、テルポシエのお医者まで即搬送するんだって。若いころは暴走族でならしてたんだけど、今も≪怒涛のミサキ≫って言って、地元じゃ有名人ぽい」
「あ~……元不良のおばさんなのね。どうりで……」
派手な土ぼこりを立てまくって過ぎて行った救急駅馬車は、すでに道のかなたである。




