≪迷い家≫と光る木のお話
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この≪岬の集落≫をちょいと北に行ったあたり、ぽっそり森の深いところがある。
その森の中を、一人の男がさまよい歩いていた。
男はすべてを失くして、絶望していたんだ。
ずっとまじめにこつこつ働いてきたと言うのに、運命のいたずらでそれが全部、こっぱみじんに壊されてしまったんだからね……。
大切な家族はすでに亡く、帰る家も頼れる友もない。
自分の無力さに打ちひしがれて歩くうち、暗い森の奥へ奥へと入り込んでしまっていた。しとしとと雨が降りしきり、男は濡れてみじめだった。
やがて夕闇が落ちる。
狼の声におびえて、男は木の根もとにうずくまった。
そこはちょうど大きなうろになっていたから、身を隠せると思ったんだね。けれどもぐりこんでみれば、うろは案外に広かった。奥の方が暖かいように感じて、男はそちらに這って行った。
そうして暗闇の中に、光る木を見たんだ。
小さくって枝葉もそろっていない、男の腰くらいまでの若木だった。その幹と枝とはちらちら白く、おだやかに光って男の目に優しい。
恐ろしさを忘れて、男は木の前に屈みこみ、光る枝に触れてみた。
ふれた瞬間。ぴかっ! と男の胸の中に、希望が生まれたんだ。
≪……そういや、俺は歌えるんじゃなかったか≫
絶望にのまれかけていたが、男は自分がすべてを失ったわけではない、ということを思い出した。
ちょいと懐かしの唄を口ずさんでみた、……それが暗闇の中にぐんぐん力強くこだまして、男は自分の歌に励まされていった。
そうしてもと来たところを行けば、夜は明けていて梢のあいまにのぞく空は青い。
森を抜けると、宙に七色の虹がかかっていた。その虹の脚の片方が、自分の頭上に消えているのを見て、男は笑ったんだ。
≪大丈夫だ! 俺は俺なんだ、俺にはまだ歌がついていてくれる!≫
男は足取り軽く、緑の野を歩いて行った。自分のうたう歌に乗るように。
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「その人が、今日の集まりで歌っていたノーラやのひいひいおじいさん、と言われている。この人は森の中の≪迷い家≫で不思議な木に出会い、力をもらって帰ってきた。これに似た話が、ここテルポシエの東辺境にはごまんとあるんだよ。もちろん全部別の人の話だから、別の話ってこと」
「≪迷い家≫……。迷ってたどり着くところだから、迷い家と言うの?」
問うアイーズに、シャーレイお婆ちゃんはゆっくりうなづく。
「そうそう。で、一度行った迷い家には、二度とたどり着けない。けれど、そこで何かしらの福を木にもらって帰ってきた人達は、皆しあわせに生きてゆけるんだ。あんたら二人もこの先、迷い込んだらそこの木に触ってみるといい。呪いが解けるかもしれないよ?」
やぎ顔を苦笑に変えて、ヒヴァラが言う。
「そこって、ねらって行けるもんなのかい? お婆ちゃん」
「自分の道に迷っている人ほど、行きやすいのさ。そうして迷い家への道は、木のうろだけじゃない。いろんなところに開いてるもんなんだ。兄ちゃんも、いつ行ける幸運があるか知れないよ?」
シャーレイお婆ちゃんは、ヒヴァラに笑いかけた。摩訶不思議な話ではあるけれど、アイーズは豊かな胸の内に、なにか温かいものを感じる。元気を分けてくれるもの……。
――そうか。お話が、熱を分けてくれたんだわ。
そう、絶望の先には希望が。雨のあとには、虹が輝く。




