合いの手よろしく! ルルッピ♪ドゥ
「俺と兄さん、お母さんがちがうんです」
はっきりしているのに、何となくわかりにくい言い方。……一瞬おいてからアイーズは、ヒヴァラの言う意味を理解した。父とナーラッハも同様だったらしい。
特に言いよどむ様子もなく、ヒヴァラは淡々と続けた。
「兄さんのお母さんは、兄さんが三つか四つの時に病気でなくなってて。その後に、マグ・イーレから俺の母さんが父さんとこに来たんです」
「あー……」
「なるほど」
巡回騎士のおじさん二人は、うなづいた。
ファートリ家はなかなか複雑な状況であったのかもしれない。その要因の一つとみられる背景を見出して、アイーズの父とナーラッハはいくぶん納得した、という顔をしていた。
「そのお兄さんの配属先だけは知れているから……。これからそこの地方分団に、問い合わせをしてみるよ」
「えっ、……兄さんに?」
どきりとした様子で、ヒヴァラはナーラッハを見る。
「大丈夫だよ。親近者連絡につき~、とか何とか書いて、ヒヴァラ君がファダンに帰ってきたってことは直接知らせないから。それに誰がどこに配属されて、現在どういう仕事をしているのか、中央が地方分団に確認するのはそんな珍しい話でもないんだよ」
「そう……ですか」
「大丈夫じゃない? ヒヴァラ。お兄さんはヒヴァラのお母さんとうまが合わなかったってだけで、君自身のことは悪く思ってなんかいなかったかもよ?」
ヒヴァラがティルムンへ連れ去られた当時、その兄はまだ準騎士だったはず。もちろんヒヴァラの誘拐に関与しているわけがないのだ。案外、ヒヴァラがファダンに帰って来たことを単純に喜んでくれるかもしれない。アイーズはヒヴァラに、そう言い聞かせる。
少し安堵したようなヒヴァラの肩口を軽く叩いてから、ナーラッハは去って行った。アイーズの父バンダイン老侯も、もしゃもしゃとうなづく。
「ほんじゃ、儂はもうちっとここらで、ファートリ家のことを嗅ぎまわるしー。アイちゃんは、ヒヴァラ君を連れてうちにお帰り」
「え? お父さんの聞き込み、わたし達も手伝うわよ」
「いんや、ええんだ。それより明るいうちに移動した方が安全だからの。地元の市内にいるからと言って、油断しちゃいかんぞ? アイちゃん」
そういえば自分には、謎のティルムン語書類を読むという仕事もあった、と思い出す。アイーズは素直に父の言葉に従い、書類束を受け取ってからヒヴァラと歩き出した。
足早に東西大路をぬけて、アイーズとヒヴァラは再び、あの石橋の上に差しかかる。
「ね、……」
アーボ・クームの流れの上で、それまで黙々と歩くだけだったヒヴァラが声をあげる。
「アイーズ、どう思った? 俺んちのこと」
「うーん。修練校からは、だいぶ歩くわね~」
ふふ、と笑ったヒヴァラの顔に緊張はなかった。
「じゃなくって、さあ。へんな家族だったんだなぁ、って思ったろ?」
「えー? どこの家族にも、何かしら変てこなところはあるわよ。わたしのうちだって、はたから見たら十分おかしな家族じゃないかしらね」
「そう? アイーズの両親はもりもり話してくれて、すっごくやさしいじゃないか」
「そうかなあ」
アイーズは小首をかしげる。鳶色巻き髪が、丸帽の下でふあんふあんと川風に揺れた。
「そうさ。乾いてぱさぱさしてた、俺んち家族と大ちがいだよ。あんな風にばさばさしてたから、近くの人たち皆に忘れられちゃったんだ。……」
そこまで楽しげにほろほろと話していた、ヒヴァラの口調が途切れる。
アイーズが見上げると、ヒヴァラの横顔は何か、静かな気づきを得たようにみえた。そのまなざしが、じっと前だけを見ている。
「……そして忘れられたら。それはもう、なかったことと同じになるよね……」
低いつぶやきのはずなのに、ヒヴァラの声はどきりとするほどはっきり、くっきりとアイーズの耳に届いた。……いいや、頭の中に響いたような気がする。
「西町の人たちは、俺のこともさっぱり忘れちゃってて、おぼえてもいなかった。あの人たちにとって、ヒヴァラ・ナ・ディルトって言う子は、いなかったんだ」
そういうヒヴァラの声は低くおだやかで、……深い悲しみに満ちていた。
きゅっ!
アイーズは左肘をまげて、ヒヴァラの腕をちょいと小突く。
「♪ルルッピ♪」
下と上から、交差した視線の向こう。だいぶ高いところにあるヒヴァラの丸い目が、さらにまるく大きくなった。
それが笑って、口元がほころぶ。
「ドゥ!!」
べーと鳴く、やぎみたいな笑顔!
「君こそ、西町のご近所さんの名前だとか憶えてなかったじゃないの。そういう浅い関係のことなんか、気に病んじゃ損よ~」
「うん」
のっしのっしのっし、貫禄のあるアイーズの早歩きに真横で合わせながら、ヒヴァラはうなづいた。
「でもってわたしは君のこと、おぼえてたわよ!」
「……うん!!」
アーボ・クームの川風が、土手道をゆく二人のあいだを流れる。