世界の果ての先に、何があると言うのティーナ?
やがて明るさが、空いっぱいに満ちて行く。
涼しい朝の空気の中、アイーズとヒヴァラはミハール駒に乗って出立した。
細いふみわけ小道を昨日と逆方向にたどる。じぐざぐと黒い岩場が切れ込む海の向こう側、西に寝そべるような緑色のシエ半島が、大きく目の前に見えていた。
ヒヴァラを追いかけていた時はほとんど気にしていなかったが、ずいぶんと遠くまで来たものだ、とアイーズは思う。≪岬の集落≫へたどり着くのは、昼近くになるかもしれない。
「……まさか俺たち、テルポシエ国境を越えちゃったりはしていないよね?」
今日は初めから、ヒヴァラが黒馬を御している。
ミハール駒はファダン公用馬のべこ馬より雑っぽい性格だが、別段ヒヴァラを嫌っている風ではない。かぽかぽ、いつも通りの強靭な歩みで距離がはかどる。
「いいえ、それはないわよ。わたし達が野宿したごつごつ岩場の東向こうに、もう一つ岬が見えていたじゃない? あと一つか二つ岬を越えないと、東部には入らないはずよ」
「そうかぁー」
『まあイリー世界の東端辺境へ行った、とは人に言えるでしょうね。はぁ、こんなところまで来れただなんて。生きていた頃のわたくしには、到底想像できませんでした~』
「そうだね、かえるさん。俺も端っこは好いと思うんだ~」
頭巾のふちでけろけろ感動しているカハズ侯に、ヒヴァラがのんきに答えている。
『けどー。イリーの国々こえても、まだ東部大半島ちゅうのがあんのやろ? アイレー大陸の東端、ゆうたらそこよな?』
ふさふさ赤毛を風になびかせ、ミハール駒の左前脇をゆくティーナ犬が言った。
「まあ、そう言うことになるわね。アイレー大陸全体で見れば、ここはまだまだ中の辺りだもの」
あいづちを打ちながら、アイーズはふと思いついて聞いた。
「……ティーナは、ティルムンのほうの端っこを知っているの?」
『うん』
ちょろッとアイーズをふり仰ぎながら、ティーナ犬は言った。
『俺、端っこにあった戦場に居てたんやもん。何年も何年も』
「そうなの……?」
というかティルムン軍は一体なにと、どこの国と戦っているのだろう、とアイーズは疑問をいだく。永世中立、不戦を誓っているはずの国なのに?
――ちょっと待って、ティーナが人間だったのは昔の話よ。いま現在とは、事情が違っているのかもしれないわ……?
『あとな。俺はティルムン大市そだちの都会っ子やったから、地方のこととか全然わからんし、行ったこともないねんけど。同僚にな、婆やんが西の端っこ出身だったやつがおってー。そいつから聞いた話があんねん』
ぺらぺら早口でつづくティーナの話に、アイーズはちょっと興味をそそられた。ティルムンの西の端、と言えばそれは本当にアイレー大陸の最西端、ということになる。東から西へ、ちょうど大きく広げられた鳥のつばさのような大陸……。その手羽先のあたりだ。
「どんな話?」
前かがみに少しだけ身を乗り出した時、手綱に続くヒヴァラの両腕がきゅっとせばまって、アイーズの両腕を押さえたらしい。
『うん。そこはも~本当に、陸と海と空、以上おわり! みたいなとこでな? 小っさい村のあとには、岩と砂の崖っぷちがあるだけなんやて。住んでるやつらも他のティルムン人も、その先にはなーんもないお終いの場所、て思うてるんよ。けど実はそうじゃない、ちゅう話が残っとるねんて』
「ええ?」
『本になっとるような、まとまった話とちゃうねん。なんでも哀しくなるくらい大昔に、その海の向こうからすてきな人がやってきたー、とか。逆にすさまじい嵐にのって、おッそろしい災禍が来たとか……ごちゃごちゃ、とりとめのない話や』
「へえっ??」
初めて聞く話だ。
アイーズが翻訳するのは現代のティルムン小説や教養本ばかりだったから、古い時代の物語や言い伝えなどはあまり知らない。
現地人のティーナから直接語られる昔の話と言うのは、むしろ新鮮に思える。イリーの伝承、東部怪談などとはまったく趣が異なるものなのだろうか。
アイーズがますます興味を引かれる一方で、後ろのヒヴァラはぶつぶつ低く言っている。
「とりとめないのはティーナだろ……」




