海近くでのキャンプは潮っぽいわ~!
そうしてアイーズがむっくり起きたら、もう朝である。
ヒヴァラはいつものヒヴァラらしく、相当早くに起き出したらしくて、もう天幕の中にいなかった。
海水の入った草編みばけつを二つ両手に提げて、磯の岩場をひょいひょい登ってくる。アイーズは切り立った崖のきわまで行って、それをこわごわ見守っていた。
ファダンの海辺では感じないくらいの、重い湿気を含んだ朝である。
たぶんヒヴァラは≪早駆け≫か何かの術を使っているのだ。崖のふちから見下ろすアイーズが、少々心配になるほどの軽やかさで、ごつごつした磯のあたりをのぼってくる。
アイーズが顔を上げて仰ぎ見れば、低く切り立った崖は、明るい東方へむけて段々と連なっている。淡いすみれ色の空の中、泡立てたような雲が低く迫っていた。
いま季節は初夏であり、ここはイリー諸国中でもより温暖な地域とされる東テルポシエである。しかし鳶色巻き髪をゆする風はつめたく、アイーズはふくろ外套の下できゅっと身体を引き締めた。
「何だかここ、空気がしょっぱいわね」
最後、すちゃりと高く跳んで崖の上に立ったヒヴァラに言ってみる。
「えっ?」
ヒヴァラは驚いた表情で、べーと舌を出した。
「そうか~~??」
そういう顔がますますやぎっぽいな、とアイーズは思う。
・ ・ ・
草編み天幕の中で昨日の残りぱんを食べながら、今後のことを二人は話し合った。
アイーズが貿易業者のところで得た、父ファートリ老侯の手掛かりについて、ヒヴァラはやぎ顔を引き締めて聞いていた。そして出した結論はアイーズと同じである。
「それ以上は、どうにも調べようがないよね」
ソルマーゴ・ナ・ファートリは、定期通商船に乗りティルムンへ行った。そして169年白月の復路便で、テルポシエまでは帰ってきたのである。以降のヒヴァラの父の足取りは、どこにも見当たらない。当初あたりをつけていた、貿易業者の間でもその名前は埋もれてしまっていた。
「俺、きのうはかっとして、忘れちゃったんだろうなんて怒ったけど。ひょっとしたらテルポシエからファダンへ戻るところで、何かあったのかもしれないし……。もう突きつめて考えなくても、いいのかもしれないよね」
温かさの伝わる草ゆのみを手に、天幕床にぺたりと座り込むアイーズはうなづいた。ヒヴァラが言いたいことはわかる。
その後の旅の途上、ファートリ老侯は何らかの受難にみまわれた。
異国への長旅の直後、体調を崩してどこかで行き倒れてしまった可能性はあるし、疲れ切っていたところを山賊に襲われたのかもしれない。あるいは私設理術士隊計画を邪魔だてするものとみなされ、ディルト侯の配下に暗殺されたか。
いずれにしても長男のグシキ・ナ・ファートリに会いに来ない以上、存命しているかどうかは疑問である。これはアイーズもずっと胸に抱いている危惧だ。
「まあ、一応ティルムンまで探しには来てくれたんだから……。薄情者、なんて言っちゃだめなんだよね」
『そうですよ。ヒヴァラ君』
小さなカハズ侯が、草編み床の上にちょこんと座って、けろけろ賛同している。
「でも、亡くなったっていう確かな証拠もないわ。案外、どこかで元気にしているかもしれない。ある日ひょっこり、会えたりしてね」
『あーっっ!!』
急に叫んで、だしぬけ怪奇かえる男の姿になったカハズ侯が、大きな口の中から長ーい舌を出す。
それに驚いて、アイーズとヒヴァラは座ったまんま後ろにひっくり返りかけた。
『何やねん。おっさんが黄色い声出しよって』
アイーズとヒヴァラの間に犬らしく座っていたティーナが、前脚の間に置いた顔をふさふささせて突っ込んだ。
それに構わず、怪奇かえる男は金色の眼をさらに巨大にくわーと開けて、わなわな震えながら言う。
『ヒヴァラ君のお父さんは!! ほんとに山賊だか何だかに、襲われたんじゃないですかーッ??』




