嵐のあとの、くたくた安堵だわ~!
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ヒヴァラはアイーズをおぶって、ミハール駒をつないだところまで戻った。
黄昏の色が濃くなって、夕闇が降りるてまえである。テルポシエまで戻る気力は、もうアイーズには残っていなかった。へとへとである。
ふみわけ小道を少し戻った場所に、風よけになりそうな大きな海松の樹々の寄り合いをみつけて、ここに天幕を張るとヒヴァラは言う。
「でもね、ヒヴァラ。ここ水場がないわよ? 食料としては、ぱんをたくさん買い込んでおいたけど」
「海でくんでくる」
「え、えええっ?」
海水を真水にできる理術があると聞かされて、アイーズはたまげた。
そうして久々の草編み天幕内、ヒヴァラにわかしてもらったお湯は本当に塩辛くない。
「……微妙に、においだけ潮っぽいのが抜けないんだけど……」
「いいんじゃないの~? はまぐりだとかの、うしお汁のんでる気になれるわよ」
岬の集落で買った黒いふすまぱんを切り分け、ヤンシーの小腹空きー用干しあんずを食べ終えるまで、二人は目の前のことしか話さなかった。
おだやかに輝いて灯りがわりになっているヒヴァラの髪、その赫さに照らされた表情は疲れと安堵に満ちていた。この半日で、ヒヴァラはなんだかげっそりやせてしまったようにも見える。
ティーナは犬の形をとって、天幕片隅に犬らしく寝そべっていた。
カハズ侯はヒヴァラの外套頭巾ふちに入って、静かに小さな頬をふくらましたりへこましたり、を繰り返している。
草編み湯のみを床に置いて、不意にヒヴァラがアイーズの左手をそうっと取った。早口で何かを唱える。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
そのヒヴァラの指先あたりからしゅるっと白く光る糸がのびて、しゃくとり虫のようにアイーズの毛織袖の上で動く。やがて犬にかまれた部分の麻衣地にもぐりこんで、光る糸はうごめいた。
「うわぁ、裂けたところが閉じちゃったわ?」
「≪元づくろい≫って言うんだ。股引のほうもみせて」
犬どもに噛まれ引き裂かれた毛織生地が、動く白い糸によって元通りに修復されてゆく。今後すかすかした足元で旅をしなくてもよいとわかって、アイーズの気持ちがぐいぐい上がった!
「すごいわね、理術って本当にすぐれものだわ~! わたし自分では、絶対こんな風にかがれないんだもの」
ちなみに母と異なり、アイーズはお裁縫がたいへん苦手である。なみ縫いしかできないことを、まっすぐな性格ゆえとこじつけていた。
「……今日アイーズに、ひどいこと言って傷つけたのは、どうしたってなおせない」
ヒヴァラはしょぼん、と再び落ち込んでしまった。
「本当に、ごめん」
「もういいのよ、ヒヴァラ。……また、一緒にいてくれるの?」
「アイーズが許してくれるんなら」
「許すに決まってるでしょ。でもこれからは、何か嫌なことがあったらとにかく話してちょうだい? わたしは君のこと、わかりたいのよ」
人間なんだから、お互いわからないことのほうが多いのは当たり前だ。けれどそれをわからない、で済ませてしまっては先にすすめない。
他の人はそれでよくても、ヒヴァラは……ヒヴァラのことだけは、アイーズはいつかわかりたい。わかっていきたいのだ。
すぐには理解できなくっても、わかりたいと思う姿勢でそばにいれば、いつか叶うときがきっとくる。それまで耳を傾ける、ヒヴァラにはそうしてしかるべきなのだと今のアイーズは心から思う。
「……それにまた、ふいっとどこかに行かれちゃったら。わたしは困っちゃって、もう泣くしかなくなるわ」
驚いたように、ヒヴァラがじっとアイーズの目をのぞきこんだ。
「……泣いたの?」
「泣く前にヒヴァラを見つけたから、今日はぎりぎり泣いてないわー」
アイーズのはな声に、ヒヴァラは笑った。さみしそうに、笑った。
「……アイーズはやさしくって、頭がいいから。俺に合わせてくれてるだけだって、思っちゃったんだ」
「?」




