ひとりぼっちで聞き込み調査よ
配達業者の事務所となりに、小さな休み処があった。アイーズは長台に座って、蜂蜜どっぷり入りのかみつれ湯を飲む。
それで、アイーズのしょぼついた心はけっこう落ち着いた。甘いものの力は偉大なり……どうにか気持ちをたて直す。
店を出たとき、同じ並びにティルムン貿易業者の事務所があるのに気付いた。入ってみることにする。
「福ある日を。あの、わたし個人で翻訳をしているのですが……」
小さな店内にいたおじさんに、単発の翻訳仕事はないかとたずねてみた。
「ああ、ごめんね。うちは個人輸出入専門で小口のばっかりだから、かみさんと倅と嫁で手が足りてんのよ」
おじさんはちゃきちゃき早口で朗らかに言う。けれど若いアイーズをかけだし翻訳士と思ってか、続けて教えてくれた。
「他の貿易業者は全部で五軒あって、東区のふじつぼ通りにかたまってるよ。大口専門のところなら、翻訳外注もいっぱいしてるから、行って聞いてみたらいい」
「そうしてみます。……あの、ちなみに……。テルポシエへ行けば単発の翻訳仕事があるって、前に教えて下すった人がいるんです。ファートリさん、という方をご存じないですか?」
「うーん?」
「だいぶ前、栗粉の輸出がさかんだった頃に、そういう仕事をたくさんしたよって」
「え~、それ十年以上も前の話でないの」
おじさんは朗らかに笑った。気の良い人のようである。
「そうだね、あんときゃどこも手が足りなくって、うちの倅も他んとこの手伝い内職してたくらいだったしなぁ。うぉーい、コラン!!」
「何じゃあ」
店の奥に向かって呼びかけたおじさんに、もっそり声が返ってくる。姿は見えない。
「お前、翻訳業のハートリさんつう人、知ってっか~?」
おじさんの鮮やかなるテルポシエ下町調発音に、アイーズはつい笑いたくなる。
「誰だって?」
がたがた音を立てて、店から内所へ続く戸が開いた。おじさんそっくりの若旦那がひょいと入って来て、お店者らしくさらっとアイーズに目礼をする。
「ハートリさんだって。この嬢ちゃんのお知り合い」
「あの、ファートリさんです……」
若旦那は軽く首を横に振った。
「その名前では、知りません。……貴族の方だったら、個人名はなんて方ですか」
「ソルマーゴです」
今度は首をたてに振って、若旦那は笑った。
「それならばっちり、知ってますよ」
「えっ!」
アイーズの心はにわかに躍った。だめもとと思って聞いたところで、ヒヴァラの父を知る人に行き当たれるだなんて!
「と言っても、私が一方的に名前を知っているだけで、会ったわけじゃないんですよ。十年……それ以上前になるのかな? ティルムン向けの栗粉大量輸出で、翻訳の追っつかない時期があったんですけど」
べつに違法なわけでなし。翻訳士の資格を持つ若旦那は家業のかたわら、大手同業者の書類翻訳を内職受注していたのである。
「東区ふじつぼ通りの≪ひらまさ貿易≫でも≪テルポシエ興産≫でも、店に完成原稿を届けに行くと、壁にべたべた成績表が貼ってあったんです。受注数の多い、稼ぎ頭の番付だったんですが、そこの首位には毎月≪ソルマーゴ≫って載っていたから。これだけ数をこなせる人がいるもんかね、って店に行くたび感心してましたよ」
――≪ひらまさ貿易≫と≪テルポシエ興産≫!!
旧ファートリ邸の床下から出てきた書類にも、その名があったはずだ。アイーズはひそかに息をのみつつ、若旦那に向かってうなづく。
「あの頃の栗粉景気は、本当にちょっとした騒ぎでしたからねぇ」
ティルムンで栗粉が大量に消費されるようになり、イリー商人を介して北部穀倉地帯からの搬入と輸出がさかんになった。
ただイリー産の物品需要が高まったわけではなかったから、一般人には特に影響がなかったのである。
それでも貿易業界は沸いていて、翻訳士たちも大いに恩恵を受けていたらしい。小口・単発の貿易書類の翻訳依頼は山ほどあった。
「だから個人で翻訳受注している人たちを、どんどんがんばれよとあおるつもりで店側は番付表を貼っていたんでしょう。まあ私みたいに近くに住んで、原稿を店に届けに行く者でなければ、目にはできない番付だったけど」
「そうなんですか、全然知りませんでした。その番付にいたソルマーゴさん、いつ頃まで表に載っていたのかしら?」
アイーズの問いに、若旦那は首をひねる。
「うーん……? あ、そうだ。栗粉景気がほんとに盛り上がってた最中に、ぷっつり名前が見えなくなったんだった。嫁が一人目を妊娠してた頃だったから……166年だったかな?」
その後、170年代初めに下火になるまで、栗粉大量輸出は続いた。若旦那も内職をしていたが、以降≪ソルマーゴ≫の名前はどこでも見かけなかった、と言う。
おぼろげながら若旦那の話は、これまで明らかになったヒヴァラの父の行動と一致する。
ヒヴァラがさらわれる数年前からの栗粉輸出拡大。ファートリ老侯はディルト侯からの口添えもあり、それらの書類翻訳を多くこなしていた。そして166年、ヒヴァラが連れ去られた後にその活動をやめ、ファートリ老侯はファダンを去ってティルムンへ行ったのだ。
唇をかみしめて、アイーズは小さな貿易商店を営む親子にうなづいた。推測していたことに裏が取れた……!
けれどこの発見を一緒に驚くべき存在、ヒヴァラのひょろひょろやぎ顔がそばにないのが、……さみしい。




