ヒヴァラ父の軌跡! 新事実に愕然となるわ
「お探しの、お父さんの渡航が167年以降……。前年の166年にテルポシエ市内で流行病が出たので、ティルムンへ渡航する人の数も一時期だいぶ減っていたのです。お若いから、皆さんはご存じないかな……」
「ああ、……≪赤点疼≫でしたっけ?」
ふあん、と鳶色巻き髪を揺らして、アイーズはテルポシエ巡回騎士の話にあいづちを打つ。
≪赤点疼≫というのはイリー諸国において、たまに流行する病のひとつだった。
全身に赤い発疹があらわれて、高熱とひどい倦怠感が出る。しかし老人や幼い子ども、もとが病弱な者をのぞいては、ほとんど重症化することもないと言われていた。たいていは共同体の中でゆるやかに広がってから、終焉することが多い。ところがこの時のテルポシエでは、異常な数の犠牲者が出たとされている。
「そうなんです。特に南区の被害がひどくて……。そちらでは多くの方々が亡くなられました」
「お気の毒に。恐ろしいことですわ」
丁寧ではあるが、騎士はどこか他人ごととして話していた。
この人も高貴族の出自ではないのかしら……、とアイーズは思った。たしかに巡回騎士の髪は濃金だ。白金ではない。
――でもそういえば、そういう病気の大流行があったんだったわね。時期的には、ヒヴァラのお父さんがその終焉を待って渡航を遅らせた、という可能性もないではないわ。……けれど167年にグシキ・ナ・ファートリに会っているのだから、それはないかしら……。
ヒヴァラがいなくなってしまった直後の世事を、アイーズはあまりおぼえていない。
それでも娘を即位させて引退したばかりのテルポシエの前王が、このおぞましい伝染病で亡くなった、ということは聞き知っていた。
当時のテルポシエは病気蔓延の惨状を、他国に対して知らせたくなかったと見える。まず噂で、さらに公式通知がファダンまで伝わってきたのは、テルポシエ王の崩御からだいぶ日数の経った後だったから。
ヒヴァラの父・ファートリ老侯がテルポシエからティルムンへ渡ったとすれば、その病の流行が終焉した後ということになる。通常の乗船者数に戻っていた。
アイーズは、長い名簿を丹念に目で追っていく。
何十名もいる船客の個人名を、ひとつひとつ確認するのはあんがい骨の折れる作業だった。
――まあ。偽名で旅行したかもしれない、という心配はいらないから助かるけど……。
宿泊施設などと違って公式の身分証を提示しないことには、定期通商船には乗れないのだとテルポシエ巡回騎士が教えてくれていた。
その騎士は、はじめ二人が目を通した書類を箱に戻すのを手伝っていたが、アイーズ達が慣れてきたのを見ると、自分でも名簿をめくり始める。
「おっ。……これじゃないでしょうか? ソルマーゴ・ナ・ファートリ……。お父さんですよ」
そうしてヒヴァラの父の名をも、見い出してくれた。
どきりとして、二人は騎士の差し出す書類に見入る。それはイリー暦168年白月の出航便名簿だったが、たしかに二等船客としてソルマーゴ・ナ・ファートリの名前が記入されていた。アイーズは、自分の動悸が激しくなるのを聞く。
――お父さんのファートリ老侯は、やっぱりティルムンへ行っていたんだわ……。ヒヴァラを探して、連れ戻すために!
「そして、戻ってこられたのですね」
「……えっ?」
しかしアイーズがヒヴァラを見上げかけた時、テルポシエ巡回騎士が言葉を継いだ。
「お父さんは、この時に往復切符を買っています」
騎士が指さす名簿の横欄に、何やらいろいろと記号が付けてある。それはアイーズにはさっぱり意味のわからないものだったが、巡回騎士にとっては付属の詳細情報であるらしかった。
「定期通商船の往復切符は、通常二種類あります。ティルムンからの復路日付を指定して予約をすでに入れているものと、後から決める予約なしの切符。テルポシエを発つ時点で、お父さんはいつ帰国するか予定を立てていなかったのでしょう。後者の予約なし切符を購入した。そして翌年169年の白月便で、テルポシエに帰ってきています」
「……確かなのでしょうか?」
「ええ。ここのところ、復路便の追記記載があるので」
アイーズは一瞬、混乱しかけた。この乗船記録はイリー暦169年にヒヴァラの父ソルマーゴ・ナ・ファートリがイリーに生還したことの証拠だ。ファートリ老侯はひとりで帰ってきた……当たり前だが、ヒヴァラの奪還には失敗して。では、それから彼はどうなったのだろう?
テルポシエ巡回騎士は、ひょいひょいと169年白月分の名簿もめくって、到着した乗船客の名簿の中にソルマーゴ・ナ・ファートリの名を見つけ出した。すべて当時の港湾巡回局職員が記録したものだから、虚偽であるはずがない。
「残念ながら、乗客の足取りが知れるのはここまでです。その先どうなったのかは、私どもにもわかりませんね」
誠実な態度で、テルポシエ巡回騎士は二人に言った。彼の言う通りである。
「……でも、少なくともイリーのどこかにいるかもしれない、とわかりましたので。引き続き探してみます。ね、ヒヴァラ」
やぎ顔を伏せるようにして、ヒヴァラはアイーズを見ずにうなづいた。
親切にしてくれたテルポシエ巡回騎士にお礼を言って、二人は港湾組合事務所を出る。青い空が、うす暗い地下階に長くいた眼にまぶしかった。




