乗船名簿の中に、お父さんはいるかしら?
「わたし達、婚約してるんですが」
ヒヴァラのまわりの空気が緊張したのがわかったが、構わずに低いはな声でアイーズは続ける。
「……やはり結婚する前には、実のお父さまにもご挨拶をしておくのが筋だと思いますの」
アイーズだって緊張びりびりなのだが、この口実が一番効くだろうと踏んでもいた。実直そうなテルポシエ騎士は、案の定うんうんうなづきながら聞いている。
「なるほど、仰る通りですね! わかりました。本来、こういった記録は一般の方には開示しないのですが、例外として扱いましょう。それでは本件についての書類を作成しますので、お二人の身分証をご提示ねがいます。……ああ、ファダンからお越しなのですか」
真新しい筆記布に硬筆をすべらせる速度を見て、この巡回騎士は相当にできる人なのだな、とアイーズは思う。しかし騎士はヒヴァラの身分証を手にした時、はたと小首をかしげた。
「ヒヴァラ・ナ・……ディルトさん?」
ど・き――ッッッ!!!
アイーズの豊かな胸の奥底が震撼した。まさか、マグ・イーレ近衛騎士長の縁者とばれた!?
「お探しのお父様、ソルマーゴ・ナ・ファートリさんと姓が違いますが……って。ああ失礼、ご両親が離縁されたのだから違っていて当たり前でしたね。ごめんなさい」
言いかけて自分で突っ込み、照れ笑いになっているテルポシエ巡回騎士の前で、アイーズの張りつめた緊張が音を立てて抜けていくようだった。
・ ・ ・
テルポシエ巡回騎士が記録を調べる間に、どこかで待たされるのだろうとアイーズは思っていた。ところが騎士は二人も一緒に、保管場所に入れてくれるらしい。
騎士に従ってアイーズとヒヴァラは階段を下り、さらに下って、地下階へ来た。上階地上階と異なって、実にしんき臭いところである。
その地下倉庫の一室、錠をがちゃんと引き上げながら、テルポシエ巡回騎士は言った。
「だいぶ昔の記録ですからね。ここに収蔵してあるんです」
ヒヴァラがティルムンへと連れ去られたのが、イリー暦166年。その翌年、ヒヴァラの兄のグシキ・ナ・ファートリが叙勲して高地の分団配属となった。
そのグシキのもとを訪れた後、ファートリ老侯は行方をくらましたのだから、167年以降の記録をあたることにする。
166年の便にはヒヴァラ自身の名も記載されているのだろうが、それを確認するのはやめておく。
テルポシエ巡回騎士の目に触れたら、ヒヴァラがティルムンへ行っていたことの説明をしなければならなくなる。
そしてヒヴァラがさらわれたのは、もう確かめる必要もない事実なのだから。
「先ほども誓約書に署名していただきましたが。お二人がここで目にするのは、公表されるべきでない情報記録です。目的以外の箇所について、知りえたことを口外することは厳禁です、よろしいですね?」
「はい」
「はい」
巡回騎士の指示に従って、アイーズとヒヴァラは棚から積まれた木箱を取って筆記布の束を取り出し、ひもといていった。
騎士が天井に吊り下げてくれた燭台の灯りで手元は明るいが、見るべき書類束は途方もなく分厚い。アイーズは167年度白月分、ヒヴァラは花月分の記録をそれぞれめくってゆく。
定期通商船のティルムン・テルポシエ往来は年四回。
年によって日程は異なるものの、およそ三か月ごとに行き来がある。それぞれ数十人分の乗船記録がついていた。その人数には偏りがあって、少ない時は二十数人、多い時で四十人近くもあるようだ。
「167年か……。だいぶ人数がもとに戻ってきた頃ですね」
「ええ?」
低くつぶやかれたテルポシエ巡回騎士の言葉に、アイーズは顔を上げた。
「その前年、我が国のディアドレイ女王陛下が即位したのです。直後に市内で流行病が出たので、ティルムン渡航者の数も一時期だいぶ減っていました。お若いから、皆さんはご存じないかな……」
「ああ、……≪赤点疼≫でしたっけ?」
不吉なひびきを持つその病の名を、思い出してアイーズは口にした。




