VSテルポシエの高飛車おばさん!?
「ちょっと、そこのあなたッ!! なーに町なかで、犬を放しているのよッッ!?」
きーん、と耳障りな声で叫んだ者がいる。
大路の数歩先からすれ違いかけていた年輩の婦人が、しかめっ面でアイーズに眼光を飛ばしていた。
「危ないでしょうがッ。持ち込めたということは、お貴族なのでしょうけど!? 犬を連れてるくせに市の決まりを知らないだなんて、他国の方かしらッ!? おくにが知れますわよ!!」
「ご、ごめんなさい……」
しゃがんでティーナを抱え込み、アイーズが謝りかけた時。かなりむっとした声で、ヒヴァラが答えた。
「……俺らファダン人ですけど、何か!?」
とたん、年配女性はふふッと鼻で笑った。女性の後ろに控えるとしま女中二人も、ふふふふッと笑った。
「でしょうねえ。森ふかきご辺境のかの地では、犬にひもをつける文化もございませんでしょう! けれどここはおくにと違って文明の地、イリー東の雄のテルポシエざますッ。お野蛮作法は通用しませんことよ!!」
「ヒヴァラ! いいから紐、ひも出してっ」
赤毛のかたまりのようなティーナを腕いっぱいに抱きしめながら、アイーズはヒヴァラを見上げて言った。
「ひもッ」
「そう、ひもよっ」
この際なんでもいい。犬の散歩ひもに見えるなら、ヒヴァラの背負っている麻袋の口を結ぶ紐でも、なんでも!
しかしヒヴァラは即座に頭巾をかぶると、すごい速さで唇を動かした。
「あ……あららららッ!?」
と、年輩女性がぐらりとよろめく。
びったーん!! 派手にすっころんでしまった!
「お、奥さまぁぁぁッ」
としま女中たちが慌てて駆け寄っているのを後目に、ヒヴァラはアイーズの腕からティーナをひったくった。
「行こッ」
そこで二人はとんずらした。……すたこらさっさと、建物の集まるあたりめがけて石の路を小走りにゆく。
東の大路が見えなくなり、商家の立ち並ぶ界隈までやって来てから、大きな事務所のかげでヒヴァラは足を止めた。
はあはあ、と息をついてアイーズは、ヒヴァラの小脇に挟まれたティーナの頭に触れる。
「ティーナ。町の中では、犬は散歩ひもつけなきゃいけないのよ……」
『あー、せやった……』
ふいっとティーナの姿が消えうせた。
『ごめーん。かんにん、蜂蜜ちゃん』
「んもう、何してんだよッ」
ヒヴァラが憤慨している。
「まあまあ、うっかりは誰にでもあるし仕方ないわよ。にしてもヒヴァラ、ひも出してって頼んだ時……何をしたの?」
「うん、ひも出したよ!」
「……?」
「理術で草編みひも出して、たかびしゃおばさんの足首に、そーっと縛りつけてやったんだ」
「ヒヴァラ……」
「さすがアイーズだよね! どこまでも戦略きかした指揮! あの人ぞろッとした長衣きてたから、お付きの人にも誰にも見られないうちに消えたはずさー」
アイーズは、がくッと頭を前に下げた。苦笑するしかない。
「……怪我してないと、いいんだけどね」
『いやー、大丈夫でしょう。あのご婦人の着ぶくれようなら』
頭巾をかぶったままのヒヴァラの胸あたり、ちょこーんと頭を出してカハズ侯が言う。
『でもわたくしも、ここでは見えなくなっていた方がよろしいでしょうか?』
「そうねえ。……テルポシエ人はかえるが好きで食べちゃうから、食材って思われないように隠れていたほうがいいかしら」
『きゃふッ』
小さな悲鳴をあげて、かえるもたちまち姿を消した。
やれやれ……とアイーズが辺りを見回せば、少し先に休み処の店がある。
「ヒヴァラ、そこ入りましょう」
さくら草のあふれる細長い花壇を店の周りにたくさん置いて、なかなかはやっていそうな店だ。
だいぶ曇ってきたが温かい日だし、庇の下の席で空いているところを探す。アイーズがそこに座りかけた時、若い女性給仕がそうっと寄って来た。
「お客様。こちら、市民ご貴族専用席となっておりますが……」
「えっ?」
アイーズは驚いた勢いで、給仕の顔をまっすぐ見る。きれいな翠の目を持つ女性は、少し緊張した面持ちだ。もめごと厄介ごとを、明らかに避けたがっている。
「……ごめんなさい、ぼんやりしていました。あの、静かに話せるところをお願いします」
アイーズの穏やかな答えに安堵した様子で、給仕は二人を店内へと導く。薄暗い奥側の一角に落ち着いて、アイーズは甘めのはっか湯を注文した。
そこから改めて、アイーズは店の外側、庇の下の席を眺めてみる。老若男女がいりみだれて座っているが、身なりのよい連中ばかりだった。
しかし……? 店内にぽつぽつ座っている客だって、きちんとした装いの人ばかりだ。何をもって貴族とそれ以外を区別しているのか。それ以前に、なぜ区別する必要があるのだろう?
「……みんな、白金髪だね。外に座ってる人たち」
アイーズの視線を追って外を眺めていたヒヴァラが、低くささやく。
それでアイーズもはっとした。庇の下と、店内入ってすぐの窓際にいる人々は全員、陽光にあかるく輝く白金の髪を持っているのだ。
――ああ、そうか……。白金髪は、テルポシエ高貴族のしるし!




