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底なし泥炭湿地はこわいわよ~!


「テルポシエ騎士修練校の生徒たちね! あんなに小さいのに、もう街道で乗馬実習しちゃうんだわ」



 自分の小ささを棚に上げまくって、アイーズは言った。


 まあ背丈はなくとも横向き壮大な貫禄があるので、自他ともにさほど気にしてはいないのであるが。



『つうか……。何やの、湿地帯のその泥炭て。底なして。そんなおっそろしいのに囲まれて、ふつうに暮らしてんのんか? テルポシエ人ゆうのは』



 ティーナがぼやいた。



『俺なら絶対あかん……。気ッ色わるくて、夜もおちおち眠られへんくなってまうぞ』


『えー、我々もう寝ることございませんでしょう? ティーナ御仁』


『そうでなくって、生きてる時分やったらっちゅう話や。んもうッ』


「まあまあ。確かに真顔で注意されちゃうと、怖くなるわよね!」



 徐々に迫りくる白亜の城塞をふり仰いで、アイーズは言った。


 夏草の茂る湿地帯に囲まれたテルポシエは、緑の海に浮かぶ白い島のようにも見える。


 都市のある中心地は地盤がかたく、陥没したという話は植民以来の三百年間、聞いたことがない。というよりテルポシエ大市自体が、海にせり出しかけた巨大な岩盤みたいなものなのだ。


 南を海に、他の三方を湿地帯に囲まれたかの地は、そもそもが天然の城塞である。むしろその難攻さに目をつけたからこそ、始祖たちはここに町をつくると決めたのだろう。


 黒羽の女神に守られて≪白き沙漠≫を越え、はるかティルムンからやってきた人々。


 彼らは西のデリアドから順々に、東に向かって旅をしつつ都市を築いていった。マグ・イーレ、ガーティンロー、ファダン、オーラン……。その最後の到達地がここ、テルポシエなのである。



『あー、嫌や嫌や。何やもう、今から胸がわるうなってきよった……。蜂蜜はちみっちゃん、こんな怖いとこよして、もそっと安全なとこに潜伏しいひん?』


「何言ってんだよ、ティーナ。ここがいちばん安全なんだって、アンドールお兄さんが言ってたじゃないか」



 ヒヴァラが少々、しゃきっと反論している。



『うー、嫌やなあ。俺、底の見えへんもん嫌いや。底の深くてわからへん井戸とかも、ずーっと嫌いやったしなぁ』


「大丈夫だから、どこかに隠れてらっしゃいよ。でもティーナ、沙漠には底なしの砂だまりなんかはなかったの?」


『生きてたうちにいたとこには、あらへんかったわ。んな怖いもん』



 ぶつぶつ言いながら、ティーナ犬はふいと姿を消した。



「おばけのくせに、怖がるものあるんだな」



 アイーズの後ろで、あきれるようにヒヴァラが言った。



『気持ちはわかりますけどねぇ。底のないもの、終わりの見えないものって言うのは、見ていて不安になりますし。……何と言ったかな。ずーっと昔に読んだものの中に、書いてありましたっけ……。踏み込むべからず、泥炭ぬかるみと嫉妬のずぶ沼って』


「何だいそりゃ。かえるさん?」


『どちらも終わる底のない怖いものだから、近寄ってはいけませんという意味だと思いますよ~』



 もそもそ、けろけろ、ヒヴァラとかえるは今日も仲が良かった。


 どこかまぬけと言うか、のどかな二人のやり取りを聞きつつ、アイーズはどうだかなと思う。


 ちょいと目を上げれば、うす青の空が水平線に寄り添って、どこまでも続いている。端っこのない空が、終わりのない世界をくるんでいるではないか。


 アイレー大陸に東西南北の端があることをイリー人は知っているが、その先の終わりを知る人はいない。


 色々な人が知ろうとして日夜研究をしている。けれど終わりを発見した人は、今のところイリーにもティルムンにもいないのだ。


 よって自分たちは底も端も終わりも見当たらない、無限の真っただ中に生きていることになりはしないか。



――そういう、明るい無限のものなら。特に怖くはないのよね。



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