謎の書類を発見したわ!
「私は土地の仲介業者から、この家を買いましたもんで。前の持ち主の方とは、会ったことがないんですよ」
ヒヴァラの実家の現住人、揉み療治師の男性は、両手をもみもみ揉みしだきながら言った。ただ、その仲介業者から前住民の話は少々聞いていたらしい。
「貴族のご一家だったと聞いていますが、何だか急に外国へお引越しなすったそうで……」
「外国ですか? 遠方ではなくて?」
思わず聞いてしまったアイーズに、揉み治療師は特に表情を変えることもなくうなづいた。
「ええ。後でご近所の方からも、教えられたんですが……。どうも夜逃げと言うか、挨拶もなしにふいっと消えてしまったような、そういういなくなり方だったらしいですね。まあ貴族の方の事情は私にはわかりませんし、それ以上のことは誰も知りませんでしたから」
ナーラッハとアイーズの父は、土地仲介業者の連絡先を聞いて書き留めた。
その間ヒヴァラがひとことも発さず、玄関小広間のそこかしこを眺めまわしているのにアイーズは気づく。ヒヴァラはふとアイーズを見下ろして、例の哀しげな瞳でひょいと肩をすくめた。
「……そうだ、お巡りさん! 前に住んでた方々のことを調べているのなら、ちょっと見てもらいたいものがあるんですけど。いいでしょうか?」
だしぬけに、揉み療治師が思いついたような声を上げた。
「何じゃい?」
「上階へ来てください。……ああ、できるだけ静かに願います」
療治師のうしろについて、一同がぎしぎし鳴る階段を踏んでゆくと、上階の一画は工事中らしい。ばけつに脚立、工具入れ、内装ぬりかえ材料とおぼしき布袋の積まれた一室に入る。
「今度三人目が生まれますもんで、この室を改装していたんですよ。そうしたら、こんなのが出てきまして」
床に置いてあったものを、揉み療治師は無造作に取り上げる。
両手いっぱいに分厚い、筆記布の束だった。汚れは目立たないが、古びて実にかび臭い。
「小納戸の床板の下に、びちっときれいに敷かれていたんです。焚き付けにしちまおうかとも思ったんですが、何の書類なんだかさっぱり読めないもんだから、気味が悪くって。それこそ、お巡りさんに処分の相談をしようと考えていたんですよ」
筆記布の束を受け取ってぱらぱらとめくりながら、父は首をかしげた。
もしゃ、とアイーズを振り返る。
「アイちゃん」
アイーズは父の手元をのぞき込んで、……息をのんだ。
――ティルムン語じゃないのッ!
アイーズはすばやく顔を上げる。今は何も言うな、と父がもしゃもしゃ目くばせをしてきた。
バンダイン老侯は筆記布の束をくるりとまとめると、揉み療治師に言う。
「ほい、そんじゃ我々が預かって処分しときます。これで全部?」
「ええ、そうです。ここは床を全部張り替えたんですが、他のところからは出てきませんでしたから」
アイーズは、脇に立つヒヴァラをそっと見上げた。ヒヴァラも見たはずである。古い書類は、すべてティルムン語で表記されているようだった。
――ひょっとしたら。これはヒヴァラが巻き込まれた過去につながる、重大情報かもしれないわ!
見上げられたヒヴァラが、アイーズを見下ろしかけたその時。室の戸口のほうで、がたりと音がした。
誰よりもびくりとした揉み療治師が、そこに現れた女性に足早に歩み寄る。
「あんた……お客さん? なんでお巡りさんがいるのよ?」
大きなお腹を抱えるように両手を添えて、妊婦は見るからに不機嫌である!
「お前、ごめんよッ。気にしないで寝てていいんだよ。……例のわけわかんない書類の山なぁ、あれを処分してくださるって言うんだ!」
「なあんだ」
ふっ、と顔をゆるませて、奥さんはゆるゆる廊下へ出て行った。
「子どもらが手習いから帰るまでに、あたしゃ寝なおすからねえ」
「どうぞ、どうぞ~!!」
奥さんのぶっきらぼうな捨てぜりふに、もみもみ揉み手をしながら答えている揉み療治師である。
ナーラッハとアイーズの父、縹色外套の巡回騎士二人とヒヴァラは、ぽかーんとしていた。
アイーズは揉み療治師の隠していたものを知って、なーんだと内心で含み笑いをする。
さっきは勘ぐってしまったけれど、ヒヴァラ旧実家の現住人には、後ろめたいことなんて何もない。彼はただの恐妻家だったのだ。