夜デート、……ロマンチック越えて怖すぎるわ!
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急遽翌朝の出立となったわけだが、アイーズとヒヴァラは今さら慌てたり、また不安をおぼえることもなかった。
長兄アンドールが提案したように、安全だからテルポシエに行くのであって、危険の渦中へ飛び込んでいくわけではないからだ。
ファダン以東のイリー街道はよく整備されているし、交通量や騎士の巡回も多い。陽の高いうちにテルポシエにたどり着けるのなら、何ら問題はないとアイーズには思えた。
――呪いを解くにしたって、まずは目下の問題をどうにかしなくちゃいけないんだしね! ディルト侯の手下がヒヴァラ追跡をあきらめるのを、待たないと……。
そう割り切って、寝じたくをしたアイーズが毛布にくるまった時だった。
「アイーズ」
頭の上から、ヒヴァラに呼ばれた気がする。暗闇の中で扉の方を見てみたが、廊下側に気配はない。
――空耳??
「寝ちゃったかなぁ」
いや、アイーズの聞き間違いではない。ヒヴァラのもそもそした声は、頭上から降ってきている! アイーズは寝台上で上半身を起こした。
「……ヒヴァラ?」
「あー、アイーズ! ここからねー、五つ沼が見えるんだ。きれいだし、ちょっと見ない??」
ヒヴァラの声は、屋根裏べやの低いななめ天井に開いた窓から聞こえてきた。アイーズの寝床の、真上である。
「なんで屋根にいるのよ……」
「いやー、眺めいいし」
どこまでものどかな返答に、アイーズはあきれるのを通り越して笑い出したくなった。
こんなことを夜更けに言い出して、窓から誘いにやってくる同年代の男の人はいない。たぶんおそらく、いや自信を持って絶対に他にはいない。ヒヴァラだけだ。
「ちょっと待って」
アイーズは毛布から抜け出す。寝台の端にかけてあったふくろ外套を、ねまきの上にすぽりとかぶった。
寝台の上に立って、引き戸式の玻璃窓を押しやる。アイーズがその外側の鎧戸板を外すと、四角い夜空の中でヒヴァラがぱかっと笑った。髪が赫く輝いている。
「寝るとこ、ごめんよ。でも今夜はとくにきれいだから、アイーズと一緒に見たいんだ」
「……どうやって屋根に出たのよ?」
「えー? もちろん窓からだよ?」
そう言って差しのべられた両手をとった途端、アイーズはふわっと引っぱり上げられた。はて、ヒヴァラってこんなに力強くてたくましかったかしら。
胸をよぎった疑問を、窓の外に出た瞬間にアイーズは忘れ去った。
「ちょ、ちょちょちょちょっとここぉおおお! 危なーっっっ」
内側に寝ている分にはさっぱりわからなかったが、屋根はとんでもない勾配であった。足を引っかけられそうなところなんて何もないのに、ヒヴァラは平気な顔でかわらの上に乗っている! 恐怖でめまいを感じかけたアイーズは、窓枠にしがみついた。景色どころじゃない!
「怖いじゃないのぉぉぉっっっ」
「大丈夫なんだ。つかまって」
「……?」
「今ね、≪くものぼり≫っていう術を使ってるんだ。絶対に落ちたりしないから、背中につかまって」
危険を回避するべく、理性は窓から寝床に即もどれと指示している。しかしアイーズは、それを上回る自分の中の自然に従ってしまった。
後ろから、ヒヴァラの首ったまに組み付いたのである。がしり!
あんまり考えはしなかった、いや考える暇なんてなかった。落ちそうになっているヒヴァラを助け引き止めるつもりで、抱きしめただけなのである。
しかしヒヴァラはひょーい、と軽く身を起こした。かろうじて窓枠に引っかかっていたアイーズの足先は外れて、宙に浮いた……。
「そいじゃ、行くねー。しっかりつかまってて」
のどかに言うと、ヒヴァラは右手でアイーズの右ひざ裏のあたりを押さえ込んだ。そして左手を屋根に置き、……ぺたぺたっと這い始める!
「ひ――ヴァラぁぁぁっ」
ぎゅううっと目を閉じて、かすれ声で悲鳴を上げた時、アイーズの肩あたりにもよんとした感触が湧く。
『大丈夫ですよ、アイーズ嬢! ヒヴァラ君、毎晩こうやっているのでもう慣れていますから』
「はッ、カハズ侯!?」
怪奇かえる男がアイーズの肩そばに浮いて、どうも支えてくれているらしい。それで多少安心できて、アイーズは周囲を見回してみる。
ヒヴァラは左手と両足で這っている。手のひらが屋根がわらに貼りつくようでいて、決してかわらを乱しはしないのだ。≪くものぼり≫と言うこの理術は、すさまじい勾配の斜面あるいは垂直の壁をのぼってゆく、蜘蛛になぞらえられたものらしい。
「は……≪早駆け≫とは、ちがうのね~」
ヒヴァラの燃えるような髪に顔をくっつけ、屋根の向こうに見える樹々の先っちょその他、高さのよくわかるものを見ないようにしながら、アイーズは言った。
「うん。≪早駆け≫は、これから」
アンドールの屋敷母屋の端っこ部分に来て、ヒヴァラは言った。屋根のてっぺんを両腿ではさみこむようにして座ると、首に力いっぱいしがみついているアイーズの両手に触れる。
「アイーズ、いったん降りて。俺みたいに座れる?」
「……?」
アイーズがこわごわ屋根に座ると、ヒヴァラは髪をさらに輝かせて早口詠唱を始めた。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え集い来たりて 我らを運ぶ浄きあまたの羽となれ 我らが旅路をいざ翼けよ」
そのまま両腕をまわしてアイーズを抱え上げると、
「ぎぃああああーっっ」
ふ・わーん!!!
ヒヴァラはとんでもない跳躍をした。
それはほんのひとっ跳びだったのだけれど、アイーズには空の中に突っ込んでいくみたいに思えて目が回る。
あげた悲鳴が下に向かって落っこちて行った……。




