うーむ、仕方なしに寝付いちゃったわ
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長兄アンドールの保護下にある、という安堵感からだろうか。
いつもより早めにやってきた月のものが少々重くて、アイーズは一日寝付いた。
もともと色白の丸ぽちゃ顔を青じろくして、寝台の上にのびているアイーズの枕元。ヒヴァラと精霊ふたりはうろたえている。
「時々こうなるのよ。病気じゃないから、心配しなくって大丈夫~」
「いやアイーズ、どこをどうみたって病気にしか見えないよ。俺はいったい、どうしたらいいんだ」
「何もできないってば。放っておいてくれていいの」
『うう、何というひしゃげた低音はな声……。おいたわしや、アイーズ嬢』
ヒヴァラも怪奇かえる男も、両手を揉みしだきつつ顔を青くしている。アイーズとどっこいだ。
『せやー、蜂蜜ちゃん! そうゆう女の子ぉ的にしんどい時は、冷えるんがあかんのやろう!? ここは炎な俺が、ひとつ添い寝したるわ。温いでー』
寝台ふちに前脚をかけた赤犬を、がばりとヒヴァラの両手が引きはがして持ち上げた。
「あほうッ」
青ざめていたやぎ顔が瞬時に赤くなっているが、それどころでない重さに耐えるアイーズは気づかないでいる。
『あー、そうだヒヴァラ君。ダアテ奥さまに頼んで、湯たんぽをこしらえていただいてはどうです?』
病弱だった生前の記憶をたぐり出したカハズ侯が言う。かれ自身、よく使っていたのだ。
「ゆたんぽ」
「あ、いいわね。ヒヴァラ~、そうしてくれる??」
地をはいずる低いはな声でアイーズがうなった時、ヒヴァラはふあっとして寝台脇の水差しを見る。みるみるうちに、短い髪が赫く燃え立った。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
ものすごい早口で詠唱した、ヒヴァラの左手のひら上。すらすらっと生え出た白く光る草が、からまり合って何かを形づくった……。たまごだ!
と言ってもヒヴァラの大きな両手にあまるほどの、大きな卵型容器である。その中に、詠唱を続けながらヒヴァラは水差しの中身を注ぐ。注ぐと同時にそこから湯気が白く立ち上った……。きゅきゅっ、と草編みたまごの注ぎ口がふさがる。
「どうだろう、これ! アイーズ」
そうっと差し出された理術の湯たんぽを受け取り、アイーズは毛布の中に引き入れる。ぎっちり編まれた草を通して、……はっきりとした温かみが伝わってきた。
「ありがとヒヴァラ、すごく気持ちいいわ。これ抱えて、ひと眠りしてみるね」
やぎ顔が、心配と寂しさを含んだまま笑った。
「だからヒヴァラ。君はお義姉さんと一緒に、お隣さんちでお湯飲んでらっしゃいよ。せっかく招ばれたんだし」
「うん、……」
ヒヴァラと二精霊が寝室を出て行った後、アイーズは毛布の中でさらに丸くなる。
お腹と太ももの間で、ヒヴァラの草編み湯たんぽはじんわり熱を放っている。
何をどうしたって耐えるしかない切ない痛みを、ぐるっと抱き込みほぐしてくれる温かさ。
――月経中に、湯たんぽ作ってくれる彼氏……。貴重よね? そして希少よね?
重く沈む頭の中でも、それはしっかりわかった。実際にも物語の中でも、旦那さんや恋人に湯たんぽを用意してもらう女の人の話は聞かない。そんなの自分が初めてだ、とアイーズは思う。
その貴重な温かさを抱え込んで、アイーズはとろとろと眠り込んでいった。
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「で、さあっ! こっち浜域特有のいか酢にんじんっていうのは、だいぶ魚醤がきいててね! その匂いに対抗するために、香料がそうとうに濃いのッ。中域とかファダン大市のが甘口なんだっていうのが、俺としてはようやく理解がいったって言うかぁ」
夕刻、アイーズはだいぶ回復していた。
だから隣人宅で浜域いか酢にんじんを堪能してきたヒヴァラの力説にも、鳶色巻き髪をふあんふあんと揺らしつつ、余裕で耳を傾けていられる。
「こうしてみると、高地のいか酢にんじんを知らないことが、ほんと悔やまれるんだ。後悔役立たずなんだ……。兄さんの件はおいとくとして、もし次に高地に行けることがあったら、何がなんでも試してみないと!」
「大丈夫よ、ヒヴァラ……」
貫禄たっぷりに言うアイーズを見下ろして、ヒヴァラはやぎ顔をゆるめる。いつもの彼女、頼れるアイーズが還って来た!
「高地・中域・浜域にわかれて、いちがいに国としての結束力がいまいち薄い……と言われるファダン人ではあるけれど。わたし達は共通いか酢にんじんで結ばれているのよ……。これは他の国の人たちにはわからない、隠された連帯力であり強みなのだわ。高地のいか酢にんじんだって、絶対にファダン魂に満ちたものよ! ヒヴァラの期待を裏切らないはずだから、いつか食べに行きましょうッ」
「だよねぇッッ」
ひょろひょろ! ふかふか! 高いところと低いところにある二人の顔が、真剣にうなづき合った。どちらの輪郭もどことなく引き締まり、毛筆描きになった感じである! ファダン魂とは、いかなるいか酢にんじんなのであろうか!?
「ほらほら、手を動かしてねぇ。二人とも~」
調理台から振り返ったダアテの声に、はっとしてアイーズとヒヴァラは作業を再開した。
ぱちぱち、ぱちん……。
台所の食卓の上、二人の前にははさみで細く切ったするめの身が、うずたかく小山になっていた。
言うまでもなく、これからダアテが汁に漬けて、いか酢にんじんにする予定のものである。




