のどかに、しかし捜査開始よ!
本日、アイーズの父は非番であった。
けれど結局バンダイン老侯は、いつも通りのファダン騎士お仕着せと縹色外套に着替える。
「どう考えたって、騎士が多くついてた方が良かろ~??」
そう言う父とナーラッハ、ふたりの中年巡回騎士の後について、アイーズとヒヴァラは西町のはずれへ向かう。
バンダイン家がある北町からは、アーボ・クーム川を渡ってそびえる宮城を街並みの向こうに眺めつつ、東西大路をゆく。
石橋に差し掛かったとき、ヒヴァラはなつかしそうに川と土手一帯を眺めわたした。
今はさっぱりした頭だし、アイーズの末の兄の古い紺色ふくろ外套に着替えていたから、どこにでもいる普通のイリーの若者といった見かけである。
「アーボ・クーム、こんなに小さな流れだったかなぁ」
「ええ、そうよ」
この土手道を歩いて、二人はもう少し南にあるファダン騎士修練校に通っていた。
だからアイーズの思い出の中のヒヴァラは、だいたいこの川の流れる景色の中にいる。別れた春の日の林檎の花びらも、川を背にして宙に舞っていた。
「ほら。君はぐーんと大っきくなっちゃったから、そう言う風に感じるのよ! わたしは今も昔も背たけ変わらないから、川もおんなじに見えるわ~」
はな声をきかせてアイーズが朗らかに言うと、高ーいところにあるヒヴァラの顔がふわっと笑った。小さい双眸に細みの顔、やぎみたいである。
「じゃ、変わってないんだ?」
「ないわよ! あ、でも夏場はときどきやぎを土手に放して、草を食べさせるようになったけどね?」
「へー。外から連れてくるの?」
「アイーズ嬢ちゃん。あれはね、一応市庁舎の雇用やぎなんだよ。市職員やぎ」
「? 派遣でなかったんかい、ナーラッハよ?」
のどかな土手を背景に、のどかな話題を語って一行は歩いた。ヒヴァラは寂しそうな微笑を浮かべて、それでもやはり懐かしそうに川に目を向けている。
ファダンと言う国名は、小さき流れを縮めたものだ。市内を流れるこの小川から、そのままついているのである。
国章の中、イリー守護神を象徴する黒羽によりそう流紋は、このアーボ・クームだった。始祖たちを支えた清らかな流れは、ファダン人の心のよりどころにもなっている。故国の原風景、そのものと思う人もいるだろう。懐かしげに川に目をむけるヒヴァラにとっても、そうなのかも……と、アイーズは思った。
――その風景の中にはひょっとして、わたしも入っていたりするのかしらね?
・ ・ ・ ・ ・
西町のはずれも外れ。市内壁にそった細長い空き地に面した住宅地に、ヒヴァラの実家在所はあった。
「ここなんだがね。憶えているかい、ヒヴァラ君?」
「はい……」
中年巡回騎士ナーラッハに答えて言ったものの、ヒヴァラはやや動揺しているようだった。
「でも、家が……。すごくきれいに、ちょっと大きくなってる。建て直しをしたのかな」
そこはぴかっと漆喰が新しい、小さな町家だった。≪揉み治療≫と書かれた看板が玄関先に立てかけられている。医療業者の店になっているらしい。
アイーズとヒヴァラは、お互いの家を行き来したことはなかった。だからアイーズはここへ来るのが初めてだし、ヒヴァラ少年が当時どんな家に住んでいたのか、もちろん知らない。
「この揉み治療師は、借家してる店子か?」
ひげの下からもしゃっと問うアイーズの父に、ナーラッハが首を振っている。
「いや、大家のはずだよ。家を買ったときに、ヒヴァラ君の家族に会ってるかもしれん。聞いてみるか」
ナーラッハが玄関扉の呼び具を叩き、訪う。
顔を出した男性は、縹色外套を着た巡回騎士が二人並んでいるのを見てぎょっとした様子だったが、すぐに中に入れてくれた。
「えーと、少々事情がありましてな。前にこの家に住んどった家族のことを、調べているのですけんど」
父のだみ声説明を聞いて、揉み療治師の男性はほっと安堵した様子である。
――巡回騎士に来られて困るような、後ろめたいことでもあるのかしら?
アイーズは何となく妙に思ったものの、口をはさまずナーラッハの後ろにたたずんでいた。