ヒヴァラのお父さんに希望はもてないの?
――お母さんがだめでも。お父さんなら、ヒヴァラに熱をあげられるんじゃないのかしら??
アイーズは、右手に白いんげんの粒を握りしめる。
そう、レイミア・ニ・ディルトは言っていた。離縁した元夫のファートリ老侯が会いに来た……ヒヴァラに会いにマグ・イーレに来た、と。それはヒヴァラがティルムンへ連れ去られて、まだ間もない頃である。
――そう……そうよ。ファートリ侯はヒヴァラに会うためマグ・イーレに行った。そこでおそらくディルト侯本人から、ヒヴァラがティルムンへやられたということを知らされたのよね? 衝撃よね? そんなむちゃくちゃあるわけない、と憤慨する……!
ヒヴァラの父はファダン城勤務の文官だった。地位としては悪くない、さらにティルムン語が堪能だったのだ。ティルムン関係者に対して、ヒヴァラの行方を聞いて回った可能性がある、とアイーズは推測した。
――そして……、そして! 長男が叙勲して、祖母方基盤のある高地へ配属になる。その頃合で自分はヒヴァラを探し出すために、ファダンに持っていたすべてを投げうったんだわ! 仕事も地位も、家も……!
アイーズは卓子に両肘をつき、白いんげんを握ったこぶしをこめかみにあてた。
目を閉じる。
ほんの一回り前、ファダン高地でヒヴァラの兄と対峙した時のことを、アイーズは思い出そうとした。グシキ・ナ・ファートリがイヌアシュルの湖で、残酷にも弟を水棲馬に喰わせようとしたのは、父親の命令に従ってのことだ。
あの時ヒヴァラの身体を拘束するとともに口をふさいだのは、理術詠唱を封じるために他ならない。グシキ・ナ・ファートリは弟が理術士であることを知って、その基本的な対策をしてきた。その辺の知識認識を、彼はいかにして得たのか? 優秀でも辺境過疎地の一巡回騎士にすぎない、グシキ・ナ・ファートリが?
――お父さんだ。ファートリ老侯は、相当に深いところまで踏み込んで、ヒヴァラの行方を追っていた……。ティルムン兵士・理術士にされてしまう前に、自分で何とかヒヴァラを連れ戻そうとしたんだわ。
≪……いつかヒヴァラが、ファダンの地に戻って来た時には。必ず殺せ、と……父はそう言いおいて、いなくなりました……≫
ヒヴァラの兄に言い置いて去る前、ファートリ老侯は理術士の何たるかまでを把握していたのだ。どうやったのかは、わからないが……。ああそうか、ファダン宮廷内でティルムン関連の機密を調べたのだろう。アンドールが知っているような軍事機密情報を、どうにかして垣間見たのだ。そして恐らく、彼は命をかけてでも息子を救うつもりでどこかへ去った……。
グシキ・ナ・ファートリの言葉を信じるなら、ファートリ老侯はそれっきりの行方不明である。その時点で、何らかの具体的な脅威を感じていたのかもしれない。
だから自分が潰されてヒヴァラの連れ戻しに失敗し、ディルト侯の計画が実現してしまった場合に、≪理術士としてのヒヴァラ≫を滅すよう、グシキ・ナ・ファートリに託したのだろうか。
――ヒヴァラのお父さんは、決してヒヴァラを抹消するつもりなんてなかったんだ、と思いたいわ……。何としてでも連れ帰すべく、決死の覚悟で取り戻しに行ったのよ、きっと。じゃあ、ティルムンへ行ったのかしら?
ヒヴァラの父は今も生きているのだろうか、とアイーズは純粋な疑問を持った。
それを確かめたり、探る方法はない……。ファダン大市で調べられることは調べてしまったのだし、これ以上の手掛かりはなしだ。……いや。ファートリ老侯の結末は、わかりやす過ぎるほどに明らかである。
「ヒヴァラは、理術士になった……」
つぶやいて、アイーズは握りこぶしを下ろす。
そう、アイーズのもとに還って来たヒヴァラは、理術を使うヒヴァラになっていた。
ヒヴァラの父は、ディルト侯の計画実現を阻止できなかったのだ。
命がけで挑んだ探求にやぶれて、文字どおりどこかで命を落としてしまったに違いない。ディルト侯の手の者に、あるいはディルト侯とつながっていたティルムンの業者か誰かに、口封じのため殺されてしまったのだろうか。それなら、ファートリ老侯に≪熱≫を分けてもらうことはできない……。
胸が苦しくなる。
アイーズは頭を振って、……豆のより分けを再開した。




