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キスなんかで呪いが解けるわけはないのよ

「……結婚するだけで呪いが解けるだなんて、陳腐な読み物でしかないわ。人間の作った都合のいい契約制度に、精霊や命をどうこうできる力なんて、あるわけがないのに!」



 おばさんは、夜空みたいな目を丸くしてアイーズを見た。


 つい語気を強めて言ってしまってから、アイーズは後悔する。すぐに謝った。



「ごめんなさい。何も知らないのに、生意気なことを言ってしまいました」



 うつむいたアイーズの膝の上、小さな手を、さらに小さなおばさんの手がそっと叩いた。



「いいのよ、あなたの言いたいことはよくわかるの。世の中、たしかに結婚あるいは重曹で解決できる問題は多いわ……。でもあなたの彼の呪いには、どっちも効かないんだもんね」



 そう言って笑うおばさんの笑顔は、……何だか妙になつかしかった。


 初めて会った人なのに、とアイーズは不思議に思う。どこかで会った。見守られていた……そんな気がする。変なの。



「とにかく、ね……。わたしがはっきり言えるのは。あなたが今みたいに彼を本気で心配してそばについている限り、彼は生きるということよ。でもってあなた自身、彼がいと思っているんでしょう?」


「……自信ないんです」



 アイーズはきまり悪く、唇を噛んだ。


 そう、ほんとのところ……自分はヒヴァラのことをどう思っているのだろう?


 危機にあるヒヴァラを何としても救いたい、とは思っている。これは確かだ。けれどいつか呪いが本当に解けて、二人が友達以上のものになったら?


 そうなった途端、ヒヴァラはノルディーンのようにたわいない存在になってしまうかもしれない……。あの・・ヒヴァラをあほう貴公子と一緒にしちゃいけない、と叫ぶ声が自分の中に聞こえる。けれど不安の根っこは、ヒヴァラでなくてアイーズ自身の中にあるのだ。



――ヒヴァラを大事に思うこの気持ちが、恋だったとして。自分はいつまで、それを心に保ち続けることができるだろう?



「お嬢さん。帽子をとって、ちょっとおつむを下げてくれる?」


「えっ?」



 おばさんの言葉に、アイーズは従った。するとおばさんは古木に座ったまま、にょ~んと伸び上がる。


 アイーズの頭を両手ではさむと、つむじの手前あたりにぶちゅうー! と音をたてて接吻した。



「はい! いなかの球技補佐きやでいおばさんの、特別祝福がすみました。はっきり具体的な手伝いができなくって残念だけど……。わたしはあなたを、ずうっと応援していますからね!」


「あの……??」



 困惑するアイーズの横から、おばさんはぴょいんと跳び下りる。


 そこに置いてあった球技杖のかばんをすちゃッと持ち上げると、アイーズに笑いかける。



「そして心配はいらないのよ。いちどほんものになった想いは、永遠になる。それは生きものだから、死ぬときは死ぬわ。けれど何度でもよみがえって、あなたに満ちる。真摯なあなたなら、必ずやり遂げられる……。自分を信じて。それじゃあ、ね!」



 ささっ、さかさかさかさ~!!


 そう言い残すと、おばさんは林の中をやたら素早く歩いて行ってしまった。



「あの……。ありがとう、ございましたー!」



 慌てて言ったお礼の言葉は、もも色の背中に届いたのだろうか? あっという間に、おばさんの姿は見えなくなってしまった。



――不思議なおばさんだったわ……。精霊や呪いには詳しいみたいだったけど。それに、≪熱≫だなんて……。



 よけいに話がこんがらかったのでは、と思いかけてアイーズは頭を振る。ふあんふあん、豊かなとび色巻き髪が揺れた。


 ヒヴァラの呪いが難題なのは、わかっていたことだ。それにとにかくアイーズが一緒にいれば、ヒヴァラが死ぬことはないと球技補佐きやでいさんは教えてくれたではないか。ついでにおばさんは、アイーズを無条件に応援してくれている。


 そこでアイーズも古木から下りて、沼のほうに向かって歩き始めた。


 こんなに遠かったかしら、と思える距離をたどってようやく林の外に出る。いま沼は金色の光を水面に宿して、直視が難しいほどにまばゆかった。



『あ~、アイーズ嬢』


『長かってんな。はらいた起こして苦しんでたんかい?』



 けろけろ、ふさふさ、前と変わらない位置姿勢のカハズ侯とティーナが、ひそひそ声をかけてきた。



「ごめんね。森の向こう側で、地元の≪語る人≫おばさんに会ったものだから。呪いの話について、ちょっと相談してみたの」


『ほ~?』


『で、何か収穫はありましたかッ?』


「うーん……。ヒヴァラはまだ、ぐうすかなのね」



 木枝の影がまだらに落ちる草の上に、ヒヴァラは気持ちよさそうにのびたままだった。ほそみのやぎ顔が平和に眠っている。


 その頭の脇にそうっと座り込んで、アイーズは右手をのばす。


 日に灼けた額にふれた。ヒヴァラは起きない、ぴくりとも動かない。



『……蜂蜜はちみっちゃん?』



 ふあふあん、ととび色髪をくゆらせてアイーズは屈みこむ。


 ヒヴァラの額、短い髪の生え際あたりに、唇をくっつけてみた。数える……いち・にの・さん。はなす。


 ヒヴァラの足元あたりで、三白眼をずどーんと見開いているティーナ犬を見る。



「ティーナ。あなた何か、変わったふうには感じない?」


『……は??』


「ヒヴァラから離れても大丈夫そうとか、感じないの?」


『いや……ぜーんぜん……』



 ふー……。アイーズはまるい肩を落として、鼻からため息をついた。



「やっぱり、そう簡単にはいかないわー」



――こんなことじゃ、≪熱≫は移らないみたいね。



 じっと見つめても、ヒヴァラの髪はやっぱりあかいままである。午後はじめの陽光を受けて、きらきら輝く苺金髪みたいな赫い髪。


 ガーティンローで助けた東部ブリージ系の女の子が、呪われ髪と呼んでいた髪……。


 もぞり。


 ヒヴァラが大きく寝返りをうってから、のそのそと上半身を起こした。



「あー。すんごいよく寝たぁ」


「そう、良かったね。……そろそろここもたたんで、アンドールあんちゃんの家に帰りましょうか」



 アイーズはミハールごまを探しにゆき、ヒヴァラは下に敷いていた砂色外套をばさばさと振る。


 その横で、赤いティーナ犬は何も言わなかった。


 平らな麻袋の上では、小さなかえるが小さな前脚をにぎりしめている。



『すてきなものを見ました……。これが眼福、目の保養というものなのかも……。ああ、胸がきゅんとするぅ』




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