≪心の熱≫のお話……?
「彼には、熱が足りていないんだわ」
アイーズは、ばちばち目をしばたたかせた。
「ねつ、って……」
「熱は熱よ。人間が生きていく上で、絶対不可欠なものね! それがなくなって身体と心が冷え切ったら、ひとは死んでしまう」
「……」
「うーむ、どう説明したらいいかしらね。……ほら、おいしいごはんをお腹いっぱい食べたり、熱いお湯を飲むと、身体があたたかくなるでしょう? それが、身体のほうの熱」
「ええ……?」
「けれど、人間に必要なのはそれだけじゃないの。心の方も一緒に温かくなければ、人は弱っていってしまうのよ……。あなたの彼は呪われる直前、その心のほうの熱をほとんど使い果たしてしまったように思えるわ。精霊が取りついてその代わりをしているから、今は一見ふつうに生きていられるけれど」
おばさんは声を低くして、アイーズに語った。これはほとんどの人が知らないことだし、みだりに言ってはいけないのだが、ヒヴァラを救わなければならないアイーズは心得ておくべきだ、と。
そしてヒヴァラが心の熱を失ってしまった原因というのは、やはりヒヴァラ自身しか知りえない。なにか壮絶な経験があったのかもしれないし、あるいは長い間の哀しみが積もりに積もって弾けてしまったか。いずれにせよ、慎重に探るべきだとおばさんは言った。
「……いちど失ってしまった熱を、取り戻すことは可能なのでしょうか?」
アイーズの問いに、おばさんは闇夜のような真っ黒い瞳を伏せた。
「とてもむずかしいわ。ふつうの人間にとっては」
適度に食べてよく休むことで、身体の熱は回復できる。しかし心の熱は、そう簡単にはいかないらしい。
「……周りの人間が、ほんの少しだけ自分の熱を分け与えることはできるのよ。たとえばお母さんは赤ちゃんにお乳をあげる時、栄養だけでなくって熱もあげているのよね。……でも、あなたは大人になった彼の恋人であって、お母さんじゃないから。それは無理だわ」
「恋人とかじゃないんです」
ぼそりと訂正したアイーズに、おばさんはきょとんとした。
「は?」
「……呪いが解けるまでは、わたしの彼氏にも立候補しないそうです。本人がそう言ってました」
かぽーん!! おばさんは口を四角く開ける。
「え、ええええっっ!? とんでるわたしにぐうーっと迫った、あんなに深い想いがあるのにぃぃぃ? って言うか最近の若い子ってそんなもんなの!? はッ、そうか! ファダンのみなさんってそうなのかもね、お土地柄も尊重しなきゃいけないわ……!!」
驚愕のあまりか、おばさんはアイーズにほとんどわけのわからないことを口走った。
「……でも。あなたにとって、彼は大事なひとなのよね?」
アイーズはこくり、とうなづいた。
「もう、二度と失いたくないんです」
「それなら大丈夫、……ずっと彼のそばにいてあげればいい。そうすることで、あなたはほんのちょっとずつでも、熱を分けてあげられる」
アイーズは眉を寄せた。それはどういうことなのだろう。ヒヴァラを恋人にして、将来結婚すればいいとでもいうのだろうか?
その考えがよぎった時、アイーズの脳裏にうるわしき元婚約者ノルディーンの顔がよみがえった……苦々しさとともに。
とたん、目の前にいるおばさんに対し、不信感が噴出する。
「……結婚するだけで呪いが解けるだなんて、陳腐な読み物でしかないわ。人間の作った都合のいい契約制度に、精霊や命をどうこうできる力なんて、あるわけがないのに!」




