ピクニック後に神だのみしてみるわ
草地部分にミハール駒を遊ばせて、沼をいっぱいに見渡すまばらな木陰のあいまに、一同は昼食をひろげる。
昨夜の雨でまだ地面は濡れていたが、ヒヴァラが理術で軽くかわかして座り込んだ。
ダアテが持たせてくれたいろいろを、麻袋の中から取り出してゆく。分厚く切った黒いふすまぱんに、かなり硬めのくず蜂蜜を塗りたくって、ついでにやぎの乳蘇ものせる。しっとりした黒ぱんを、アイーズとヒヴァラは口いっぱいに噛む……静かだった。
もうとっくに正午を回っていて、天からじかに降り注ぐ陽光はこの上なく温かい。
水筒のなかみを飲んだヒヴァラが、ぼんやりと言う。
「いま……。俺の胃の腑んなかで、ぱんが水吸ってふかふかふくらみ始めている。じんわりもわもわと、重くなってゆく……」
独自の実況中継後、ヒヴァラはくるりとアイーズを見た。
「強烈にねむくなってきた……。ちょっとだけ、横になっちゃっていい?」
「いいわよ。半刻くらいたったら、起こしてあげる」
「ありがと」
砂色外套を草地に敷いて、ヒヴァラは陽だまりの中にこてんと横たわった。ごくごく小さな、理術の草編み枕をこしらえたらしい。草まくらの上に頭をのせて、目を閉じればもう入眠している。無防備だった。
そのすぐ脇に座り込んでアイーズは、ちらちらまぶしい卵色の沼の水面と、ヒヴァラとを交互に見ていた。足もとにはティーナ犬がぐでんと寝そべり、小さなカハズ侯は平たくなった麻袋の上にちょこんと座っている。
『……ヒヴァラ君ね。昨夜はだいぶ遅くまで、わたくしと読書しましたから……。昼寝したかったんでしょう』
貸してもらった室にあった、甥っ子の蔵書を楽しんだのだろうか。カハズ侯に、アイーズもそうっとささやき返す。
「何を読んだの? 空想冒険ものとかかしら?」
『ええ。「創作叙事詩ホメタオシヤス」を一気読みしました。最近の物語って、軽くて明るくて、陽気ですねぇ! 三行おきに爆笑ねたが来るから、んもう二人で笑い転げちゃって。楽しかったですよー』
そうなの、とアイーズはうなづいて笑った。のめりこむと時間を忘れてしまう物語の楽しさは、アイーズもようく知っている。
音を立てないよう、アイーズはそうっと立ち上がってふくろ股引のしわを伸ばした。
「わたし、ちょっと林の奥でお手洗いしてくるわ。二人とも、ヒヴァラのこと見守っててくれる?」
『ええ、まかせて』
『ゆっくりしてきよし』
カハズ侯とティーナ犬の声に送られて、アイーズは樹々の合間へ向かう。
そこからだいぶ、かなり奥に踏み入ったところで用を済ましてから、アイーズはちょっと時間を取った。一人で考えてみたいことがある。
「……」
病気になってしまって、林の管理者に斬られたのだろうか。倒れた大きな古木がある。アイーズはそこに乗っかって座り、腕組みをしつつ考え始めた。
――ヒヴァラの呪いを解くためには、まず呪いにかかったいきさつを良く知らなきゃいけない、とカハズ侯は言っていた……。けれどその辺のヒヴァラの記憶はあいまいだし、ティーナ自身もこれまで教えてくれた以上のことはよくわからないみたい。むずかしいわね!
ふ~、とため息を一つついた。ずっと前方で、ちらちら沼の水面が輝いている。そこにヒヴァラが眠っている……。
アイーズはふいに、神だのみをする気になった。
――女神さま……。
普段、アイーズはそんなに願掛けをするわけでもない。しかし今こそが願いどきかも、と思う。
自分の努力だけでは解決できそうにない、難問を抱えているのだから。
イリー守護神としてアイーズが思い出すのは、ガーティンロー市にある大型書店の石像だ。たまに買い物にゆくその店には、小さな黒羽の女神像が置いてあった。店員に由来を聞いてみたら、相当に古いものなのだと言う。創業者だかが入手して以来、店の象徴として書架に飾っているのだそうだ。
小さめの翼を背に行儀よく折りたたんですましているような、よくある女神像とは全く違っている。
くるくる豊かな巻き髪の若い女性が、その小さな身体に似合わない巨大なつばさ一対を豪快に空中に広げていた。けれど浮かべている笑顔はじつに可憐。ちょっと奇特なその造形を、アイーズはよく憶えていた。
思い浮かべるだけで元気の出る、躍動感あふれるつばさ。猛禽のような力強い翼がはばたく様子を記憶にたぐって、アイーズはイリー守護神の名をつぶやいてみる。
「黒羽の女神さま。ヒヴァラを呪いから解放できる方法を、ご教授ください……。わたしは大事なヒヴァラに、しあわせになってもらいたいんです」
後半部分は、囁き声になった。本当のことだから気恥ずかしい。……聞いている者なんて女神さま当人以外、いるわけないとわかっていても。
あとは静かに、目を閉じていくつか深呼吸をする。
「わたしはヒヴァラを、呪いから救いたい」
やがて少し大きな、はっきりした声が出た。アイーズの中の自然が言わせた言葉だったのかもしれない。けれど口に出してみたことで、願いはかたちを持った。はっきりと形を取った。
「わたしはヒヴァラを、救いたい。わたしは大事なヒヴァラを、呪いから救いたい」
自分のしたいこと、望むことはほんとにそれなのだ……。アイーズが豊かな胸の奥で、正直な気持ちをきゅっと認識した時。
かさり、背後で気配が動いた。
「福ある日を。お嬢さん」
低い優しい声にアイーズが振り向くと、そこに女性がひとり立っていた。




