潜伏と言う名のまったりホリデーよ!
雨上がりのさわやかな朝の空気の中を、巨大な黒馬・ミハール駒にのって、アイーズとヒヴァラは町の中心地に向かっていった。
「大市やプクシュマー郷とはぜんぜん雰囲気ちがうけど、ここもファダン領なんだよねぇ」
「そうそう。森の中の高地とも、湿気の感じが違うわよね」
「うん。なんかしょっぱい」
「……潮の香り、ねー?」
のんびり休息もかねて、アイーズとヒヴァラはここ浜域ではおとなしくしているつもりだった。しかし日中の晴れ間に、家の中にこもっている必要もないと思っている。
とりあえずトゥーヒユの町なか、目についた配達業者の店に寄った。ファダン大市の実家へ、アイーズは簡単な便りを書き送る。
ヤンシーの話を聞いて両親は心配しているだろうから、何はともあれ無事にアンドールのもとへ到着したことを知らせておかなければならない。
同時にアイーズは、オウゼ書房の令嬢秘書・ヒュティあての便りもしたためた。以降の校正原稿を、ファダンの実家あてに送ってもらうためである。
少しためらったけれど、アイーズは細かい事情説明を省くことにした。二拠点を持つ文筆業者が、次の連絡先を指定するだけの話だ。私的な理由を仕事先に持ち込むこともない。二通のたより配達を頼んで、店を出る。
隣の床屋では首から下にぐるっと大布を巻きつけられたヒヴァラが、顔にもこもこ泡をつけてひげ処理の真っ最中だった。
「あらあ、奥さん? 彼女ぉ?? もうちょっと待ってねえ、超絶いけめんにしてお返しするからぁー」
猪首たくましい巻き毛の店主が、アイーズにあいきょうを振りまく。
「……ゆっくり刈ってくださいな」
窓の近くに置かれた長椅子に座って、アイーズはヒヴァラが刈り込まれてゆくのをぼんやり見ていた。
プクシュマー郷の近くで再会してから、まだ十日くらいしか経っていない。その後ファダンでさっぱり散髪してからも長くないが、ヒヴァラの髪はもう伸びていた。のびた印象もないけれど、赫みが目立ち始めてしまっている。用心に越したことはないと思い、アイーズは床屋に行かせたのだった。
前回よりもさらに短く切り詰めた髪を見ていると、別れたときのヒヴァラにどんどん近づいているような気がした。
とろんと前方を見つめているその横顔のすぐ下には、筋ばってかたいような首筋があり、盛り上がった喉角がありはする。以前のヒヴァラ、記憶の中の少年にはなかったものだ。けれどそれは間違いなく、ヒヴァラなのである。
トゥーヒユの町には古書店もあったが、本日定休日の札がかかっていた。精霊の呪いを解くための手がかりが書物の中にないものか、とアイーズは入ってみる気だったのだが仕方ない。町の公共厩舎から黒馬を引き出して、≪五つ沼≫へ向かうことにする。
「なんだか、寒い頭になっちゃった。今は頭巾かぶっとこ……」
「さっぱりしていて、いいと思うわよ?」
ミハール駒を御して田舎の準街道に向けながら、印象は少しでも変えておいた方がいいかもしれない、とアイーズは思っていた。
「万が一、君の伯父さんの手下がここまで嗅ぎまわりに来たとしても。マグ・イーレ市門をくぐった時や、ファダン手前にいた時のヒヴァラの特徴と違っていた方が、向こうだって戸惑うしね」
かく言うアイーズも、今日は灰青色のふくろ外套を裏返して着ている。くすんだからし色のの裏地を出しているから、こちらも印象は異なるだろう。……と、希望的観測をしていた。
ちなみにイリー人の着る外套は、裏表の両面で使える仕様が多い。
たいていは明るい色とそうでない暗色との組み合わせで、例えば不用心な旅路をゆく者が盗賊追いはぎのかもにならぬように、と地味な方の面に返すことがよくあった。あまりに派手な趣味を、ひと様にさらしてどん引きさせるのを避ける時にも有効だ。ヤンシーの外套とか。
「それと、馬を貸してもらえたのも良かったわ! マグ・イーレを出かけた時は、たぶんべこ馬を見とがめられちゃったわけだから」
白地に黒ぶちの牛もよう、ファダンの公用馬と知られ目をつけられていたのだろう。敵地においてはあまりにわかりやす過ぎた、とアイーズは反省している。
準街道≪はま通り≫を四半刻も南下したところで、アイーズは東に折れた。
『さっきの標識に、≪五つ沼球技場≫と書いてありましたが?』
けろッとカハズ侯の問う声がする。姿を消した怪奇かえる男は、アイーズたちの周囲をうようよ飛び回って警戒しつつ、ついてきているのだ。
「ええ、そう。沼のすぐ近くに、ちょっと高級な球技場があるの。景色のいいところだから」
『イリーの球技って、何すんのん?』
もよん、と黒馬の横脇に赤い犬の姿が浮かび上がった。ティーナだ。
「先の平べったくなった木の杖を使ってね、たまごくらいの大きさの球を打つのよ。激しく打ち合うのと、のんびり打ち上げるのと二種類あるの。わたしは本式にやったことないし、ほとんど知らないけど……」
部分的には、アイーズも相当打ち込んだ経験、いや投げ込んだことがあるのだが……。子どもの頃の遊びごっこの領域だ、競技としての規則だってよく知らない。
「俺も遊んだことないし、知らなーい」
『生前もやしだったわたくしも、ヒヴァラ君に同じでーす』
『ふーん? ティルムンの小僧どもは、頭くらいの球を手でじかにびしばし叩いて、放ってたもんやけどなー』
「そうやって遊んでた男の子時代が、ティーナにもあったのね?」
『知らんし~』
「でもね。イリー人は大人になっても遊んでるのよ。ああそうだ、兄ちゃんの接待球技も、ここでやってるんだわ。きっと」




