べこ馬→ミハール駒にシフトよ!
極上ふかふか毛布と優しい雨音、ついでに兄の家にいるという安心感からなのか。
いつもより少し長く、アイーズは眠りついてしまったらしい。
翌朝、お粥の湯気と良い匂いのただよう階下に降りてみると、台所には義姉ダアテしかいなかった。長兄アンドールはとっくに出かけて、ヒヴァラは厩舎へ行っている、と兄嫁が言う。
まもなくそのヒヴァラが、台所の勝手口から入ってくる。
「べこ馬、疲れてるみたい」
大盛りの麦粥に、朝からいか酢にんじん特盛り。それを真剣な表情で噛みながらヒヴァラは言った。
「他の馬と一緒に、裏の草地に放したんだけど。なんかこう、いかにもくたびれましたーって感じにぼんやりしてた」
「そうね……無理もないわ。お父さんとヤンシーと一緒に、ファダンのうちを出てから、べこ馬にはずっと乗りっぱなしだったんだもの」
アイーズは乳蘇をのせたお粥を食べる手を止め、指折り数えてみた……。ファダン大市を発って、もう八日になるのだ。
速足・駆足をさせた場面もあるし、何といっても常に二人乗りで来ているのだから、馬にとっても苦行だろう。こがらなアイーズとひょろひょろヒヴァラではあるが、大人であることに変わりはないのだし。
「べこ馬はファダン大市の公用馬なんだから、乗りつぶすようなことしちゃいけないわ。ここにいる間は、ゆっくり休ませてあげましょう」
「そうだね!」
「あ~。そしたらアイちゃんヒヴァラ君、かわりにミハールの駒のったらいいわ」
「えっ?」
ミハールと言うのはアンドールの長男である。アイーズにとっては甥っ子だ。
「あの子ならでかいし、いかついし、丈夫でのんきだし。二人で相乗りしたって、何でもないよ。天気いいんだから、ゆっくり散歩しといで」
「……勝手に乗って、ミハールが怒らないかしら?」
ダアテはひらひら、手のひらを振った。
「アイちゃんが御すんなら、ミハールは何も文句は言わないよ。ていうかいつもの世話だって、わたしやばあやさんがしてるんだものー」
実際、アンドール邸裏地に放されていた黒馬を見れば、じつにいかつい。
本来は軍馬になるべく育てられたが、性格に偏屈なところがあって規格に合わず、一般馬として売られていたのをアンドールが購入したと言う。
「へんくつ、って……?」
お近づきのしるしに、とダアテから手渡されたにんじんを黒馬にやりながら、ヒヴァラがたずねた。
「この子、騎士をのせるのが大きらいなのよ。どうもね、ほら鎖鎧のこすれる音……? あれが嫌で嫌でたまんないみたい。だから騎士っぽい男の人が御そうとすると、機嫌を悪くするのよ」
「それじゃあ、軍馬はむりね」
アイーズは納得する。貯蔵りんごをあげて平らにしたアイーズの手のひらに、黒馬はもふむふと鼻づらで接吻した。
そうして鎧を着ない少年同様、やわらかい衣類しかまとっていないヒヴァラに乗られても、黒馬はきげんを損ねなかった。
「良かった! ミハール駒、大丈夫みたい。それじゃお義姉さん、いってきまーす」
「はーい。気をつけてねぇ」
ダアテが開けてくれた柵戸から、アイーズとヒヴァラをのせた黒馬はのそっと進み出る。
昨夜の雨で、屋敷裏手の小道はしっとり湿っていた。
やわらかく萌えている夏草の緑の道は、ひんやり冷たく先にのびている……。




