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……雨音にまぎれて、呼んでみたよ


――ヒヴァラのお母さん、レイミア・ニ・ディルトは、≪計画≫のためにヒヴァラを生んだと言っていた。ヒヴァラは初めから、ティルムンに連れて行かれる予定だったのだとしても……。他の四人は、一体どういう経緯で≪沙漠の家≫に連れていかれたのかしら?



 ディルト侯はイリー人の私設理術士部隊を得るつもりだったのではないか、と長兄アンドールは推測していた。


 しかしヒヴァラ以外の四人はイリー人ではなく、東部ブリージ系の少年たちだったと言う。自分の手先にするのなら、ディルト侯はなぜイリー人ばかりを選ばなかったのだろう? 


 単純な疑問ではあるが、これには全く説明がつけられない。アンドールも、そこまでは言及していなかったが……。


 アイーズが思うに、≪上の兄≫アンドールはおそらく戦略情報室の人間である。


 地方分団所属と見せかけて、その実は中央ファダン宮廷直属、特別任務を遂行中なのだ。だからこそ一般の巡回騎士よりも踏み込んだ外交事情を知っているし、この家も十分に安全・・と言えた。やしき周辺のご近所さんには、兄の息のかかった民間警備業者がまじっているのである。



――ディルト侯は、マグ・イーレ王と一緒にティルムンへ行って長期滞在をしていた。だからティルムン側に人脈がある、これは確実よね? 同じように北部穀倉地帯や東部ともどこか裏でつながっていて、伝手つてがあるのかもしれないわ!



 そこで何かが、アイーズの頭にひっかかりかけた……が、すぐには出てこない。


 ふいっと蜜蝋みつろうあかりが揺らいで、アイーズの胸のうちがざわめく。そのまま、もう一つの気がかりが不安となって、アイーズの心を取り巻いてしまった。



――気になることの二つめ……。ヒヴァラの呪いについて、まだ何もわかっていないじゃないの。



 ルーアそっくりの赤犬の姿になって、時々からんでくるティーナ。かれは自分で言うほどの悪い存在では決してない、とアイーズは思っている。


 むしろヒヴァラを守り支えてくれる、いいやつだ。


 けれどティーナの力がなければ死んでしまうという状態、これはヒヴァラにとって呪い以外の何ものでもない。それに取りついているティーナ自身、その状態を改善する方法がわかっていないのだ。お手上げである。


 優しい紳士のカハズ侯が言ってくれるように、焦らずじっくりと取り組んで解けばいい問題なのだろう。……けれど。



――呪いが解けないうちは。ヒヴァラは、わたしの彼氏になってくれないのよねー……。



 アイーズは、ヒヴァラに呪いを脱してほしかった。ティーナの支えがなくても、元気に生きられるようになって欲しい。ファダン市民籍を得て、そうして本当にヒヴァラ自身の望むものになってほしいのだ。そこに自分は寄り添うことになるのだろうか?


 ……それはその時になってから、ヒヴァラと一緒に正直に考えよう、とアイーズは思う。


 そう、あの日アーボ・クーム川の土手で白い花の散る中……ヒヴァラを失ってしまった時に、凍ってしまった二人のつながり。ようやく再開できたヒヴァラと自分の物語を、再び止めてなるものかとアイーズはかたく決意している。



――とにかく……。呪いについては、なるべく頻繁に考えよう。マグ・イーレの迷路書店でしたみたいに、片っ端から手掛かりを探るのよ。地道な努力でやってみましょう! うむッ!



 そこまでアイーズが考えをまとめた時。扉のむこうで、そうっとした声が聞こえた。雨音にまぎれた空耳かと思ったけれど、そうではない。



「……アイーズ。ねちゃったか~い??」



 毛布まき巻きの巨大みのむし状態のまま、アイーズはもっそりと起き上がる。


 立って行って錠を外すと、ねまきの上に砂色外套を羽織ったヒヴァラが暗い廊下に立っていた。アイーズを見た瞬間、ヒヴァラの目がうれしそうに、さらに丸くなる。



「アイーズ! 毛布着てんのかいっっ?」


「なによ~。気持ち良いんだから、いいじゃないの」



 わざと鼻にかけた、おどけたぷんぷん怒り調でアイーズは言った。気持ちいいのは本当だが、ねまき姿を絶対に見られたくないという真相については言及しない。



「いや! じゃなくって、いつもよりふかふか五割増ってかんじで! すんごくいかしてるッ」


「……五割増し~? ……で、どうかしたの??」


「うん。寝られなかった場合にね、甥っ子くんの書棚の本! 読んじゃってもいいのかなって思ってさ!」


「それ言って顔が輝いてる時点で、もう読む気満々なんじゃないの。べつに構わないと思うわよ? 読んだ後に、ちゃんと巻いて戻しておくのなら」


『ですよねぇ。わたくしは疲れないので、がっつり読みまーす』



 ヒヴァラの頭巾ふちから、顔を出してカハズ侯が言う。その時ヒヴァラの足元から、ふさふさっとティーナ犬があらわれた。



『俺は正イリー語の本なんて読まれへんし。蜂蜜はちみっちゃんに添い寝したろか、背中ぬくくするで~??』


「こら、こらこらこらッッッ」



 ティーナ犬のふさふさした首っ玉をうしろから両腕で抱え込むと、ヒヴァラは後退した。



「それじゃあね、アイーズ。また明日、おやすみ!」


「お休み、ヒヴァラ。カハズ侯にティーナ」



 閉めかけた扉のすきま、ヒヴァラのやぎ顔が小さくにこっと笑った。



「アイーズ」



 平和でのんきな、やぎ笑顔だった。と、と、とととと……。



「……ヒヴァラ」



 小さく答えたアイーズのはな声は、打ちつける雨音にまぎれて扉のむこうには届かなかったかもしれない。


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