田舎の豪邸! お兄ちゃん家に到着したわ
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はまみ山を過ぎてからは、ファダン準街道≪はま通り≫を南下する。
その名の通り、ファダン南部・浜域の主幹道だ。北向きの≪切り株街道≫に比べるとだいぶ細いが、整備のなされたよい道である。ガーティンローの≪ユウズ湖沼景勝街道≫と似た印象があるのは、どちらも名勝地へつながっているためだろうか。
≪いそぱん≫を食べて元気になったアイーズは、再びべこ馬の手綱を取っていた。今ではだいぶ落ち着いて、周囲を見渡すことができる。カハズ侯とティーナ犬が前後についてくれている、と言うのも心強かった。
「結局、≪五つ沼≫へ行くことになっちゃったわね! ヒヴァラ」
「ああ、色がいろいろ変わるっていう沼?」
「そうそう。兄のうちから近いし、いる間に見られると思うわよ」
≪上の兄≫のところにどれだけ滞在することになるのかはわからないが、そのくらいは楽しんでも問題ないだろう、とアイーズは思う。
「カハズ侯も、見たがっていたしね」
「うん。て言うか俺、アイーズの≪上のお兄さん≫が気になるんだけど。ヤンシーお兄さんや、ナカゴウさんに似てるの?」
「いいえ。お父さんに似てるの」
へえ! と感心しているヒヴァラの声が、潮風にまぎれて後ろへ流れた。
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ファダン大市を過ぎてから、約二刻半といったところ。
陽が西に傾き始めた頃、アイーズたちはファダン岬の東端部分、浜域第三分団管轄地域に入った。
小さな田舎道だが、何度か来ているアイーズは迷わない。トゥーヒユという名の小さな町、そこの外れにある豪邸を目の前にして、ヒヴァラはびっくりした。
「さ、着いたわー。厩舎に行く前に、ちょっと声をかけるわね」
「……うまやのある家なのッ!?」
たしかに、あってもおかしくない規模の家だ。広い石積みの門構えに、背高く厚い生け垣がはりめぐらされ、お屋敷玄関までの小道が長い。その小道をつたって、アイーズは家の前あたりに立った。
「おねえさーん」
「はあーい!!」
はなにかかったアイーズの呼びかけに、甲高い声がこたえる。
かららんらん、と裏口の方からか戸の開く音がして、たったったとがっしり小太りの女性がやってきた。目のさめるような若草色の花柄もんぺ服を着ている。
「まんづよく来たねーぇ、アイちゃん! で、こちらさんがヒヴァラ君ね?」
「こんにちは……」
きゅうっとアイーズを抱きしめてから、女性はヒヴァラに向かってにっこり笑った。その前歯がひとつ抜けて、穴ぼこになっている。
「はいはい、こんにちは! アイちゃん義姉のダアテです。ふたりとも、よく来たね……とりあえずお馬を入れたげて、ねー」
ダアテに促されて、二人は家の脇の厩舎にべこ馬を連れてゆく。ここはほんとに個人のうちのうまやなのだろうか、とヒヴァラは首をひねった。
八つ仕切りがあって、三頭が新参者のべこ馬に向かって長い顔を突き出していた。小さな村の公共厩舎くらいの規模である!
「ヒヴァラ。ここでは、君の力は使わなくっていいからね?」
「うん」
二人でべこ馬をごしごしこすってやりながら、アイーズとヒヴァラは囁き合った。
ヤンシーも言っていたことだが、ヒヴァラが炎を使って水棲馬を倒すのを目撃した父と兄は、ヒヴァラが≪理術士≫であることを知っている。しかしそれは、その場にいた当事者たちだけの秘密ということにもなっていた。
「頭が光るの、見られたら大変だし……。ファダンのアイーズん家にいた時みたいに、おとなしくしとく」
「そうそう。カハズ侯とティーナも、姿は消しておいてね?」
『はいはい。でも、すぐ近くにおりますよー』
けろッと鳴いて、ヒヴァラの頭巾ふちに入っていた小さなかえるは消えた。ティーナは返事をしないが、どっちみちヒヴァラの中にいるのは間違いない。
「けさ早く、お義父さんからアンさんに速達が来てね。アイちゃんがよく食べる理術士彼氏を連れてゆくだろうから、かくまっておくれと頼まれたのよー」
広大なお台所の食卓上。
ほがらか表情の義姉に言われて、アイーズは湯のみの白湯をぶはッと噴きかけた。思い切り、ヒヴァラが理術士と知られている!
「彼氏じゃないのよ、お義姉さんッ」
「よく食べるのはほんとなんです、すいません……」
「あー、そうなの? うちにもねえ、食べざかりの息子が二人いるから心配ないのよ。ヒヴァラ君」
上の兄夫婦には息子、すなわちアイーズにとっての甥っ子が二人いる。どちらも現在はファダン大市内の騎士修練校に行っていた。義姉の実家に寄宿していてアイーズ実家にもしょっちゅう来るが、たまたまヒヴァラは会っていない。
「にしても、ややこしく困った事態になったものねぇ……。お便り読んで、アンさんもむつかしいひげ面になってたけど。まぁここにいる限りは危ないことなんてないんだし、ゆっくりしてさ? のんびり休んでいがんしょー。……おっと、お湯受けが出てなかった~」
笑顔とともに、義姉は台所の食卓上にどかんと大きな壺を置く。
「はーい。いか酢にんじん」
ぱあああっ!!
ヒヴァラの顔にふわっと赤みが差す。花満開、春のはまみ山ってこんな風かもしれない、とアイーズは思った。
「うわあああ、浜域のいか酢にんじん! うっっまー」
小皿に取り分けるのすらもどかしげ、嬉しそうに食べつつヒヴァラが叫ぶ。
「ファダンの味、そのまんまッ」
「いか酢にんじんは地域によって、ちょっとずつ風味が違うとは言うけどね。これはわたしが漬けたやつだから、どうしたってファダン大市風だよ」
義姉はうなづきながら、ヒヴァラに言った。ダアテ自身もファダン大市の出身である。
「アンさんも、今日はなるべく早く帰ると言っていたし。ごはんの時にでも、これからのことを一緒に話し合ったらいいんでないのかしらね」
「ええ。そうするわ、お義姉さん」
アイーズとその義姉が話しているのを、いか酢にんじんを噛みつつヒヴァラは聞いていた。
ダアテが時々口にする、≪アンさん≫と言うのがたぶんアイーズの≪上の兄≫なのだろうな……と見当をつけながら。




