ファダンのソウルフード、いか酢にんじん降臨よ!
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昼食時。
果たして、アイーズの両親は凝固した。
ここでも大鍋いっぱいに作った杣粥が、みごとに空になる。
「うまーい。ほんとに、うーまーーい」
アイーズが近所の総菜屋で買ってきた、壺いっぱいのいか酢にんじん。それを付け合わせにして、ヒヴァラはいくらでも食べ続けていた。
今朝は例外的に空腹がひどかった、などと言うわけではないらしい。やはり、これがヒヴァラの普通なのだ。
「やっぱり、いか酢にんじんはいいなぁ……!」
しかし、かぼそい感嘆の声は本気でうれしそうだった。
それでアイーズの母が解凍される。
「残しといても仕方がないわ。ヒヴァ君、全部たべてしまいなさい」
いか酢にんじん。
千切りにした干しいかと人参を、酢や魚醤のきいた漬け汁にあえて寝かせた、ファダンの郷土料理のひとつである。
こうしてお粥のおともにもなれば、お湯受けにも前菜にもなる万能の常備菜だった。好きな人の中には、黒ぱんにはさむ猛者までいる。
「あーあ。俺もう、なんにも悔いなーい……」
ほっこり、のんびりした声でヒヴァラが言う。
空になった鍋を流しで洗い、すすぎ水を家の裏手の畑に二人してまきながら、アイーズは苦笑した。
「そんなに食べたかったの? いか酢にんじん」
「うん。だってねぇ、向こうは海のものなんて何にもなかったんだよ」
「……どういうごはんを、食べていたの?」
「もそもそした豆と、麦とかばっかり。ほんと飽きあきするんだけど、お腹すくのに耐えらんなくてさ、……味のわからない感じで、ひたすら食べてた」
「そう……」
ティルムンの食文化について、アイーズはけっこう知っている。イリーの食事とはだいぶ異なるから、訳出のためにたくさん本を読んで調べていた。
河口近くの肥沃な土地上にあるティルムン大市周辺では、多様な食糧が産出されているはずだ。様々な種類の野菜と果物、海川の魚を豊富に誇る国ではなかったのか?
――やっぱりヒヴァラは、文明発祥地ティルムン大市から離れた、辺鄙なところに閉じ込められていたのね!
「たくさん飼っていたから、やぎの乳や鶏の卵なんかはけっこうもらえたよ。でも、そいつら殺して肉にするのは、気がすすまなかった。食べたけど、……どうしても切ないんだ」
ぶんぶん、逆さのばけつを上下に振りながら、ヒヴァラはつぶやくように続ける。
「でも、たまに干し魚もらう時は、もっとかなしかった」
「どうして?」
ファダンっ子は干し魚が好きだ。豊かな漁場に恵まれた沿岸部のファダン大市には、多くのひもの工房がある。ていねいに干して内陸部にある町や村に流通させるためだが、そういう工房では出来立てにぼしが安く買えた。小腹のすいた大人や子どもは、手軽に買って食べる。
アイーズとヒヴァラも騎士修練校の放課後、時々そういう工房によって買い食いしていたはずなのに。
「だって、思い出しちゃうじゃないか。思い出して帰りたくなって、でもって会いたくなって、哀しくなるしかなかったんだ」
後半はかなり早口で言ってのけて、ヒヴァラは狭い肩をひょいっとすくめる。
さみしげに笑っているのは、変わらない。
「まあ。魚があってもなくても、……おぼえていたから。どうにか俺として、生きてられたんだけど……」
アイーズは小首をかしげた。
ヒヴァラの話し方は、どうも時々わかりにくくなる。ティルムン抑揚が強く入り込んでくるせいもあるけれど、何となくアイーズが知らない、……いまだ理解できない何ごとかを含んでいるような、そんな不思議なしゃべり方だった。