帰宅直前にトラブルだなんて!
イリー街道に入るあたりで、もやはすっかり晴れ上がった。青い空が頭上に広がる。
東へ向かって進むアイーズたちの左手には、みどり濃い農地と林とが交互に現れ、そして右手にはほぼ常に紺色の海が見えている。
ゆたかな赤褐色の毛をふさふさ揺らして、ティーナ犬はとっとこべこ馬の隣を歩いた。時々消えたり、また現れたりしているのは気まぐれなのか。
時おり騎乗の人々や荷馬車と行きかうが、アイーズはティーナを見られても大丈夫だと思っている。犬を連れて道行きする人はよくいるし、おかしなことではない。現にアイーズだって、プクシュマー郷の狩猟小屋からファダンの実家に駅馬で帰る時は、ちょうどこんな風にルーアを従えてゆくのだから。
気持ち良い快晴に、整えられたよい道。距離はどんどんはかどって、だいぶ陽の高くなった頃、遠くにファダンがかすんで見え始める。
白っぽく伸びる街道はゆるやかな勾配を越えて、二人のふるさとへと続いていた。
大市に入る前の最後の折れ曲がり。少々内陸側へ入り込んだ林中の道を、べこ馬は進んでゆく。この周辺にあるいくつかの集落を越えれば、あとはファダン大市の西門へ一直線だ。
――やれやれ……。
アイーズがふうっと胸をなで下ろしかけた、その時。
『ヒヴァラ、頭巾かぶるんや。かわずは消えよし』
ぐーっと抑えた、有無を言わせぬティーナの低い声がして、アイーズの後ろでヒヴァラがはっと息をのむ。
――ティーナが警告してきた!?
アイーズは手綱を握りしめる。
ティーナ犬の姿は先ほどからしばらく消えていて、今も見当たらないが何かを察知したのだろうか。
『妙な気配がすんねん。人間やと思うけど、待ち伏せかなんかとちがうか……。俺にもようわからんし、気をつけや』
アイーズは、きっと目を見開いた。
べこ馬の前方には、今しがた追い抜いて行った商人風の荷馬車が一台あるだけ。荷台に男性が一人乗っている。
どこかへ行くついでの相乗りなのだろう、不審な様子は全くなかった。では後方に、誰かがついてきているのだろうか?
「……カハズ侯、後ろのほうに何か見える?」
見えなくなってもすぐ近くにうようよ浮いているであろう、怪奇かえる男に向かってアイーズはささやいてみた。
『ええ……。騎乗の男性がひとり。頭巾を深くかぶっていますけど、長い武器を持っているようには見えません。平民の方でしょうかね』
――こんないい天気に頭巾を深く? かなり不審ね! (って後ろのヒヴァラもそうなんだけど)
まさか、とアイーズは思う。マグ・イーレからの追跡者が、追いついてきたのだろうか? レイミア・ニ・ディルトから話を聞いたダウル・ナ・ディルト侯が、さしむけてきた配下か。いや……ファダン領である分、ヒヴァラの兄であるグシキ・ナ・ファートリ侯の手下の可能性が高いかもしれない!
「……誰の追手かわからないけど。いきなり消えたら、よけいに怪しまれるわね。ヒヴァラ、折を見てそうっと路肩に寄せるから……お手洗いに行く感じで。向こうの視界を外したところで、≪かくれみの≫を使いましょう。いいわね?」
「うん、わかった」
ヒヴァラが低く同意するのを確かめてから、アイーズは少しずつべこ馬の歩みをゆるめさせる。
しかし背後の一騎は、なかなか迫っては来ない。故意に一定の間隔を取っているあたり、ますます怪しい。
「――アイーズ! 前っ」
「!!」
そうして、だいぶ後ろにいるらしい一騎に気を取られ過ぎた。
前方にいた荷馬車が突然止まったのに気付かず、アイーズはかなり近寄ったところで、危うくべこ馬を引き止める。
間髪を入れず、荷台にいた男がとび下りた。
――何よ! こんな街道のど真ん中で、……。
自分の不注意も後ろめたいが、馬車相乗り男性の行動にもいやな気がして、アイーズはむっとした。
案の定、男はつかつか歩いてべこ馬の手前に来る。御者台からも男が下りてきて、二人できいっとアイーズを見すえた!
――いやだ! 因縁つけてくる気かしら!?
「降りなさい」
ごく普通の勤め人、といった感じの壮年男性が、硬い声で言った。
「ファダンの私服巡回騎士だ。二人とも、ただちに下馬しなさい」




