やぎってかわいいわよね(力説)!
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やがて速足から常足に切り替える。アイーズとヒヴァラを乗せたべこ馬は、海沿いイリー街道を黙々と進んだ。
山間ブロール街道よりも幅が広く、見通しもずっと良い。時おり起伏のある林間を通ってから、また紺色の海を右手に見る。
馬車、ろば車、徒歩の人……。交通量も多い。少しうす曇り、けれど明るい初夏の空の下を、みな堂々と進んでいるようにアイーズには思えた。
「なんかもう、さんざんだったな」
それまでほとんど話さずにいた、後ろのヒヴァラがぽつんと言った。
「俺のこと、母さんがあんな風に思ってたなんて。ついでに顔もおぼえてないとか、……ひどくない?」
ひょうきんな調子で言っているけれど、アイーズにはまるわかりである。ヒヴァラは、実の母親の言葉に傷つけられていた。
「ほんとね! たぶん君のお母さん、目が悪いのよッ。でなきゃ、ヒヴァラの子やぎ顔を忘れるってどうかしてるわ!」
マグ・イーレで受けた衝撃を、冗談めかした調子で和らげようとしているヒヴァラにあわせ、アイーズもひょうきん路線で話したのだが。
「……」
ヒヴァラから言葉が返ってこない。
――あら? 気を悪くしたのかしら??
ふいとアイーズが不安を感じた時、素のまんまの声でヒヴァラが言った。
「……似てる、かぁぁぁー? やぎー!!」
くるっと一瞬、アイーズが肩越しに振り返ったら、まさにやぎ顔が目をまん丸くしてこちらを見ていた。
「ええ、似てるわね。今は大っきくなったから、大人やぎだけど」
「そうか、そうなのか……。やぎ系なんだ、俺……!」
自覚がなかったらしい。ヒヴァラが純然たる自分発見に驚いているだけだとわかって、アイーズはかくッと脱力した。
『あのう、やぎというと。べーとか、めぇとか鳴くというどうぶつでございますか?』
「そうだよ。見たことないかい? かえるさん」
『ございません。滋養があるからと、やぎの乳蘇は生前よく食べさせられて気に入ってましたが』
ヒヴァラの外套頭巾ふち、カハズ侯がけろけろ話している。
『実際のけものは、どんなのです? 馬みたいな感じでしょうか』
「もっとずっと小さいよ。種類がいっぱいあるけど、だいたい草たべておとなしいんだ。朝みても眠そうな顔しててさ」
『ほ~~??』
くすり、アイーズは笑った。
「たしかに、ちょっと眠そうなとろーんとした目だけどね! のんきで優しくて、ものすごーくかわいいの。ほんとの本当に、かわいいのよー! カハズ侯」
『ほーー!!』
言いつつ、カハズ侯はちらりとヒヴァラの日やけ顔を見上げた。
……ぎゅーと唇を結んで赤くなっている気がするが、まぁ陽光のせいであろう。
「……マグ・イーレの母さんは、全然やぎっぽくなかったけど」
自ら母の話を蒸し返すヒヴァラに、アイーズは首をかしげたくなった。両手に手綱、べこ馬の頭とその前方から目を離さずに、あいづちを打つ。
「ええ?」
「……でも兄さんと俺とは、けっこう似てるって思うんだ。でもって父さんは、いまの兄さんとそっくりだったんだよ。顔だけだけど」
「あら、そうなの?」
言われてアイーズは、ファダン高地で会ったグシキ・ナ・ファートリ……ヒヴァラの兄のことを思い出す。確かにきょうだいはよく似ていた……。同系統のやぎ顔だ。
ファートリ侯は見かけ立派な騎士だったけど、あんなひどい仕打ちを弟にするなんて……とアイーズは思っていた。
しかしヒヴァラの母と会い、その人となりを実感した今。アイーズは若いころのグシキ・ナ・ファートリの心境が、少しだけわかった気がする。
――あんな風にからから、つんけんした感じの人が新しいお母さんとして来たのなら……。そりゃあ不愉快にも思うわよね?
同じ家に暮らしていた時、ヒヴァラの兄グシキ・ナ・ファートリは、父の後妻のレイミア・ニ・ディルトと仲が悪く、顔を合わせれば衝突ばかりしていたらしい。例えば自分だったら、ああいう姑のいる家はにどれだけ頼まれても嫁ぎたくない、とアイーズは思う。
「ほんとに、マグ・イーレはさんざんだったけど。でも少なくとも、父さんだけは俺に会いに来てくれたってことがわかったし。……母さんのことはもう、どうでもいいよね……。俺のほうでも、忘れちゃおうかな」
「そう、ね」
『けろん』
アイーズとカハズ侯は、同時にそっとあいづちを打つ。
「あー、でもさぁ! 昨日の晩は、楽しかったよねぇ? 漁師なべ、≪金のうしお汁≫だっけか! ほんとおいしかったなぁぁ」
「そうね、最高だったわねぇ。迷路の本屋さんいい人だったし」
「うんうん。ああいう店で、一日中読んでられたらいいなぁ」
その後しばらく、マグ・イーレの良かったところを二人は話す。
「要するに、けっこうおもしろいとこだ。母さんや伯父さんにさえ会わなきゃいいんだから、そのうちいつか、また来たっていいんだよね?」
「そうそう、あの海鮮汁をたべに寄るのよ~」
うふふ、あはは。アイーズとヒヴァラの受け答えは、いまや笑いを含んで朗らかだった。
ほんの一瞬、ヒヴァラの身体をかりて浮き出たティーナが、≪ちっとは警戒しよし≫と言いたげに鼻息をついてゆく。
頭巾ふちの小さなカハズ侯だけが、その様子を見ていた。




