ティーナがクールに助けてくれたわ!
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客間出入口の前で、女性執事の差し出すさくら杖をアイーズは受け取った。そのまま、足早に階段をくだってゆく。
わき目もふらずどんどん歩いて玄関を出、門番のとなりをすり抜けて、十歩ほどのしのし行ったところでうつむいた。
ふひゅ~!
おさまり切らない怒りを鼻の穴から小出しにしつつ、どんどん、どんどん歩く。
ヒヴァラの気配はすぐそば、左肩の後ろあたりに温かい。
「……なんでアイーズが、そこまで怒るのさ」
自分も怒ったようなヒヴァラの声が、低く聞こえてきた。
「俺が怒るんならともかく。て言うかいま実際、すごい腹立ってるけど」
『わたくしも』
≪かくれみの≫の理術で見えないままのヒヴァラとカハズ侯と一緒に、アイーズはくるッと住宅街の角を曲がる。朝来た道、マグ・イーレ下町の方向にむかって。
「……悔しいんだもの。わたし」
いつもよりずっと、鼻にかかった声でアイーズは言った。
「君の伯父さんの計画とか、隠し刀とかって……。一体何なのよ。そんなもののために、ヒヴァラは何も知らされないままつらい目にあってたわけ? ファダンから離れなきゃいけなかったの? 勝手すぎるわ……。あの人たちのでなく、ヒヴァラの人生なのに!」
そうして自分たちは離ればなれに裂かれた。一緒にいてあんなに心地よかったやさしい少年と、アイーズとは引きはがされてしまったのだ。
ふあ、と長い腕に取り巻かれる感触がした。
瞬時、すぐ近くに迫ったヒヴァラの顔が見える。髪が赫く輝いていた。
「!!」
「ちょい、黙っときや……。ヒヴァラと蜂蜜ちゃん」
そのままヒヴァラは、いやティーナは、くるっとアイーズを抱え上げる。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて 我らを運ぶ浄きあまたの羽となれ 我らが旅路をいざ翼けよ」
ものすごい早口で理術を詠唱しながら、ティーナは大股で踏み出した。
「きゃっ……!?」
その大股がひょいひょいと跳んで、近くの屋敷の石塀、次いで屋根の上へとのび上がったものだから、アイーズは肝をつぶしかけて小さく叫ぶ。思わず、ヒヴァラのうすい胸にしがみついた。
「我慢やで。ひっついてきてる怪しいやつを、まかんといかん」
低く言いながら、ヒヴァラの身体の中のティーナは屋根の上をすたすた歩いて、今度は隣家の屋根にとび移る。すさまじい跳躍だ、人間わざとはとても思えない!
『本当だ。いますね、いかにも使用人という感じの目立たない男性が……』
頭巾を深く下げ、怪奇かえる男の姿になったカハズ侯が、すいすい宙を流れるようについてくる。
『でも彼には今、我々の姿は見えていないはずでしょう? ヒヴァラ君の身体には≪かくれみの≫の術がきいているのだから。ティーナ御仁?』
「……けど実際、間合いとってついてきとるやん。何でや」
ヒヴァラの丸い目をぎろっと三白眼に変えて、ティーナはカハズ侯をにらみつける。怪奇かえる男は取り合わない様子だが、ふっと何かに気づいたらしい。
『アイーズ嬢のさくら杖に、仕掛けをつけられたようですよ。……匂いません?』
「えっ」
アイーズは驚いて、右手に持っていた杖を握りしめる。
古びた家の二階屋根、そこにティーナは立ち止まってアイーズを下ろす。
『杖の、握りのこの辺り……。きつい香水をつけたのでしょう。先ほどから、ばらの匂いがぷんぷんしています』
アイーズは杖を鼻先に近づけたが、わからなかった。
『アイーズ嬢は屋敷の客間にいた時に、鼻が慣れてしまったのかも。けれど追手らしいのは、そうとうに鼻のきく変人体質か何かなんでしょう』
「て、犬やあらへんし……。すごいのが居んねんな、イリー人??」
『感心してないで。匂いを消す理術とかないのですか、ティーナ御仁?』
「知らんわ、そんな婆やんのまめ知識みたいな術。ちゅうかそれ、ヒヴァラの得意分野やん? おら、起きて働かんかい! ……って自分から出しゃばって来たんじゃないかぁ。えーと、≪乾あらい・しみ臭い抜き応用≫……」
話しているうちにヒヴァラ本来のしゃべり方が戻って来て、おなじみの生活お役立ち系理術を詠唱する。
さわっと気持ち良い風が、アイーズの全身をなでた。
『む、さすがヒヴァラ君。きれいさっぱり匂いがとれましたね、やはりお洗濯ものは無香がいちばんです』
「ようし……。ほな、先いこか」




