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さあ、ディルト家へ面会に行くわよ!!

 何となくうれしいような、こそばゆいような良い夢をみた。


 はっきりとは憶えていない。けれど春のアーボ・クーム川……暖かい陽の中に白いものがちらちら舞う、土手の風景。


 故郷ファダンの記憶をかいま見たような、そんな気がした。



・ ・ ・



 階下の宿泊客が起き出したのか、くぐもった話声と足音とを遠く聞いて、アイーズはゆっくり目覚めた。


 薄暗い中、静かに上半身を起こす。きっちりしまった仕切り布のはじから、足もと方面をそっとのぞくと毛布はたたまれてあって、ヒヴァラがいない。


 ヒヴァラはいつも早起きだし、さきに洗い場にでも行ったのだろうとアイーズは思う。自分も手洗いに行くつもりでねまきの上からふくろ外套をかぶったら、かちゃんと音がした。ヒヴァラが室内に入って来たらしい。


 草編み天幕の壁を手で分けると、「おっはよ」とやぎ笑顔があかるい。



「やっぱここんち、そこらじゅうすきま風だらけだよ! 洗い場も激さむだったー」



 ヒヴァラはすでに服を着て、砂色外套も羽織っている。



「ううー。それじゃわたしも、行ってくるね」



 同時にそこで着替えてこようと思って、アイーズはたたんだ衣類一式を腕に抱えた。



「その後で朝ごはん食べに行きましょう。ちょっと待っててね」


「うん。天幕しまって、窓とか開けておく」



 扉の錠を上げて、アイーズは廊下に出る……。そして、あれ? と思った。


 客室の鍵は、一つっきり。それはちゃりん、とアイーズのふくろ外套かくしに入れたまんまだった。ゆうべ入室した時に、戸締り確認をしたのは憶えている。ヒヴァラは今さっき、鍵をかけずに出て行ったのだろうか? いいや、さっき確かに音がした。≪かちゃん≫と錠が上がって、ヒヴァラの入ってくる音が……。



「ぬうっ、やっぱり寒いわッ」



 アイーズは気にしなかった。


 何となく、大事なことを見落としている気がしないでもないけれど……。とにかく寒いところだ、起き抜けのお手洗いが近いッ!!



・ ・ ・



 休み処の朝食は実に簡素だった。


 黒いふすまぱんと杣粥そまがゆ牛酪ばたくらいしかつけるものはなく、どっちももそつき・・・・が強い。


 しかし今朝のアイーズとヒヴァラに、あんまり豪華な朝ごはんは要らなかった。



「ヒヴァラ……。まだお粥三杯めでしょう? もういいの?」


「いいんだ。やっぱりちょっと、緊張してきちゃった……」



 濃いめのはっか湯を、二人は少々無理して飲んでいる。ヒヴァラだけでなくアイーズも、自分の緊張をはっきり感じ始めていた。



『大丈夫ですよ。むこうだっておばけじゃありません。人間なのだもの、会っていきなり取って喰われるわけじゃないのですから』



 ヒヴァラの外套ふちで、カハズ侯がおだやかに励ましている。と言うか彼自身おばけであるのだが。



『アイーズ嬢の肝っ玉を信じて。……ディルト家へ、行きましょう! ヒヴァラ君っ』



 それで意を決して、アイーズは勘定を済まし店を出る。


 昨夜、書店主が教えてくれた通りにマグ・イーレ大市の西側へ行くことにした。


 市内壁のさらなる内側に、少しだけ広い路が通っていて、これが環状線であるらしい。そこまで大きな市でなし、ほどなく街並みは屋敷の立ち並ぶ住宅街へと変わる。


 と言ってもファダンのお高級貴族やしきに比べれば、段違いの小ささ古さである。どこの家も体裁はつくろってあるが、古びた壁やひさしに経年の傷みばかりが目立った。


 経済力において、マグ・イーレはイリー諸国内最弱とも言われることがある。


 好敵手の≪イリー東の雄≫テルポシエに、≪西の雄≫として張り合ってはいるが……。このうらぶれた貴族住宅街を見るにつけ、はな・・から勝負はついている、とアイーズは感じた。


 しかしその中で一軒だけ、ぱりっと塗りの新しい壁がある。石積みの家門と塀、やしき外装が統一されて明るい灰色だ。



「……いちばん大きな家。ここね」


「うん」


『けろん』



 アイーズのすぐ脇で、見えなく・・・・なっているヒヴァラとカハズ侯が低く答えた。



「それでは打ち合わせ通り、ヒヴァラは≪かくれみの≫続行よ。……いいわね」



 ついっ、アイーズはその屋敷家門に向かってのしのし歩いた。


 すぐに、門の裏側に待ち構えていた男性が立ちふさがる。



「福ある朝を。わたくし、ファダンで翻訳士をしております、アイーズ・ニ・バンダインと申します」



 ふかふか横向き壮大にかさばってはいるが、小柄なアイーズは門番を見上げる・・・・しかない。


 ……しかし同時に、ここぞという時のためのお嬢さまをアイーズは発する!


 どーんと見据えられた門番は、気を引き締めたようだった。最初によこしたうさん臭そうな視線を改め、やや神妙にうなづき返す。



「レイミア・ニ・ディルト様に、ティルムン語翻訳の件でお話に来たと……。取り次いでいただけますでしょうか?」




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