なかなか事情通な本屋さんね?
――ディルト侯が。ティルムンへ行っていた……??
「……王様もディルト侯も、ずいぶん長く行っていらしたのね。三年間だなんて」
ごく平穏な世間話の調子にて、アイーズは書店主に話を振ってみた。
「向こうの話し言葉も習得されて、ぺらぺらになられたんでしょう! 王様には、ティルムン人のお友達もたくさんいらっしゃるのかしら?」
アイーズとしては、マグ・イーレ王に話題の中心を持っていったつもりである。
王族というのは得てして国の人気者。お気楽なうわさ話としてとっかかりにしても、別段おかしくはないだろうと踏んだのである。
本当はランダル陛下なんてどうでもよくって、知りたいのはディルト侯に関してなのだが。
ところが書店主は、ゆでたまごのような顔をきゅーと苦笑させた。
「いやそれが、読んで書いて勉強して、で日が暮れましてー。お友達って言うのは自分ら以外にはほとんど……。たまたま会えた親切な方は、すぐにいなくなっちゃったし……って、ごほんがほん」
書店主は妙な空ぜきをした。
「どうなのでしょうね~。でも、ランダル陛下の伝手でティルムンからお客様が我が国にみえた、というお話は全く聞きませんし。こちら大市にティルムン人の方はまず見かけないですねぇ。まあ、文通はなすっているのかもしれませんけれど……」
アイーズとカハズ侯はうなづいた。
仮に、だ。マグ・イーレに私的に往来しているティルムン商人が多いのであれば、これはもうきな臭さぷんぷんである。
明らかにその網を通して、ヒヴァラを連れ去ったやからがいたのだと疑えるだろう。……しかし??
『……ティルムンではディルト侯も、一緒にお勉強されていたのでしょうか? ……いや、まさか。それはないですよね』
カハズ侯が、らしくない自分問いつっこみをした。
『王子さまのお目付け役だったのだから、護衛のように昼夜お勤めをされていたのでしょう。ということはやはり、ディルト侯もティルムン語に堪能でいらっしゃるのかしらん』
「ああ、それはもう流暢でらっしゃいますよ。……と、聞いたことがありますね~! ただ、向こうでいったい何をしていたのかは僕らにも……ちょっと、わかりかねますね。ほんと、何していたんだろ。あの人……?」
最後のほうはごそごそ濁して言いつつ、書店主は頭をひねった。つるん。
≪騎士名鑑≫をとっくりと読み調べ、書店主の地元民たる生きた情報を得た今。
これ以上ここでディルト侯について知られることはないだろう、とアイーズは思った。カハズ侯、ヒヴァラに向かってうなづく。
「それじゃあ近いうちに、亡き母の伝言をディルト様のお宅に寄せることにして……。本屋さん、≪東部怪談≫の閲覧はできますか?」
「はい、できますよ! 各種取り揃えがございます。具体的には、どういう物語をお探しですか?」
『ええと。≪呪い≫ですとか、≪炎の精霊≫に関するものを探しているのです。できればここ二十年のあいだに刊行された書物を』
それ以前の本は生前ほぼ網羅しているカハズ侯が、騎士名鑑をくるくるきれいに取りまとめながら言った。
きらーんッッ!!
書店主の頭と瞳とが、理知的にきらめいた。
「ふふッ……。それでは皆さま、店のおもて側へどうぞ!! くくく、パンダル用にこないだ入手しといたやつが……たしか強烈な呪いものだったはず~~」
書店主とアイーズ、ヒヴァラ、カハズ侯は閲覧した騎士名鑑を手早く書架にしまい戻して、長広間をあとにした。
いちばん最後に閲覧室を出かけて……カハズ侯はふい、と後ろにゆく。
そのまま姿をうすくして、長広間の隅・禁断の中階段の前に浮いた。
【書店関係者以外、立ち入り厳禁】
さがる白木の札に、そう赤くくっきりと書かれている(やたら達筆だった)。
重厚な扉のすきまをすうい、と煙のようにくぐり抜けて、カハズ侯はその向こう側にゆく。
『ごめんなさいまし、かえるの好奇心でございます』