第90話「初めての育児教室」
妊娠検査薬の結果を受けて、二人で訪れた病院。
少しずつ現実味を帯びていく新しい命の気配に、戸惑いと喜びが入り混じります。
今回は、初めての育児教室に参加し、赤ちゃんとの未来を思い描き始める、そんなやさしい一日のお話です。
翌週、結衣と涼ちゃんは並んで病院の待合室に座っていた。
カレンダーには、まだ春の名残があるというのに、結衣の手のひらには ほんのり汗がにじんでいる。
緊張と、そして ちょっぴりの不安。
――ここから、本当に“お母さん”になるんだ。
涼也は…と言えば、いつものように優しく隣にいてくれるけど、普段より口数が少ない。
けれど時折ちらっと結衣を見ては、安心させるように笑ってくれる。
名前を呼ばれて診察室へ。
医師の声が、全てをやさしく確かに告げてくれた。
「はい、妊娠されていますね。おめでとうございます。順調に育っていますよ」
その瞬間、結衣の胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。
涼ちゃんがそっと手を握ってくれる。
「……本当に、いるんだね」
「うん……ほんとに。ありがとう、涼ちゃん」
その後、助産師さんが二人に育児教室の案内をしてくれた。
「今日から数回に分けて、赤ちゃんのお世話や体の変化、育児について一緒に学んでいきましょうね。お父さんの参加も大歓迎ですよ」
「……お父さん、かぁ」
涼也がぽつりとつぶやく。
少し照れくさそうに笑いながらも、その声には、どこか実感がにじんでいた。
涼也は、すぐに「もちろん、全部出ます」と即答してくれた。
初めての教室は、まず沐浴の実演からだった。
赤ちゃん人形を使って、助産師さんが丁寧にお風呂の入れ方を説明していく。
「首をしっかり支えて、そっとお湯へ――怖がらず、声をかけてあげてくださいね」
涼也は真剣なまなざしで見つめながら、自分の順番が回ってくると、ちょっとおっかなびっくり手を伸ばした。
「よ、よし……こうかな……?」
動きは ぎこちないけれど、その姿勢は とてもまっすぐで、結衣は思わず笑ってしまう。
「涼ちゃん、すごいよ、優しくできてる」
「いや、全然だよ……でも、なんか緊張するなあ。こんなちっちゃい命、ちゃんと守れるかなって」
「一緒にやれば大丈夫。ね?」
「……うん」
次は離乳食についての講義だった。
月齢ごとのステップ、使える食材、避けた方がいいもの、アレルギーの話まで――
知らないことがたくさんあって、結衣は必死にメモを取った。
涼也も自分のノートに小さな文字で何かを書いていた。
「こんなに準備がいるんだなあ」
「ね。でも……なんだか、楽しみになってきた」
教室が終わる頃には、二人の顔に緊張は もうなかった。
外に出ると、まだ陽が少し高くて、風が気持ちよく頬をなでた。
結衣は涼ちゃんの手をそっと握る。
「これから、いろんなことあるけど……がんばろうね」
「うん。ずっと一緒にやっていこう」
未来の輪郭は、まだぼんやりとしたまま。
だけどその日、小さな一歩を確かに踏み出した二人には――
それだけで十分な希望が、ちゃんと見えていた。
お忙しい中、今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!