第61話「伝えたい気持ち」
春から初夏へと季節が変わっていく中で、結衣が少しずつ自分の気持ちと向き合い、家族との距離を縮めていくお話です。
“ありがとう”を伝えるって、簡単そうで難しいけど——
涼也の存在が、彼女の一歩を後押ししてくれました。
母の日を翌日に控えた週末。
結衣は、実家のリビングで母と向き合っていた。
久しぶりの二人きりの時間。けれど言葉は、うまく出てこない。
「…これ、良かったら使って。気に入るか分からないけど…」
結衣は小さな紙袋をそっと差し出す。中には上品なハンドクリームと、気持ちを綴った短い手紙。
「まぁ…ありがと。どうしたの、急に?」
戸惑いながらも微笑む母に、結衣は少し照れくさそうに笑った。
「遅すぎたけど…ちゃんと伝えたくなったの」
それが、結衣の“初めての母の日”。
***
数日後の夜、涼也の家。
結衣はソファに座りながら、小さくつぶやくように言った。
「私と違って、兄は母の日も父の日も、毎年ちゃんと贈ってるの。ずっと近くで見てきたのに、私は ずっと何もしてこなかった。…何でだろう」
自分でも分からない感情に戸惑いながら、目を伏せる。
「…引くよね、こんな私」
「え、引くわけないじゃん」
驚いて顔を上げると、涼也は優しく笑っていた。
「生きてるんだから、まだ間に合うよ。これから伝えていけばいいじゃん。何なら、俺が結衣ちゃんの分まで恩返ししに行くから」
その言葉に、結衣の目に涙が浮かんだ。
「…ありがとう、涼ちゃん。頑張ってみる」
***
父の日当日。
結衣は、久しぶりに父の部屋を訪れた。少し緊張しながら扉をノックする。
「ねぇ、お父さん…これ、父の日の。ほんの気持ちだけど」
差し出したのはネクタイと、涼也と一緒に選んだネーム入りのペン。
「……おお、ありがとう。珍しいな、結衣からこういうのもらうなんて」
不器用に笑う父の顔を見て、心が少しやわらいだ。
「うん……涼ちゃんと一緒に選んだんだ。ちょっと頑張ってみた」
「そうか……それで変わったんだな」
結衣がほっとしたように微笑んだそのとき、
ふと視線を廊下に向けた父が、静かに立っている涼也に気づく。
「あの…俺、母子家庭で育ったんで、父の日に贈る相手がいなかったんですけど…
結衣ちゃんと出会って、家族の大切さを改めて感じるようになったんです。
だから、これからは結衣ちゃんのお父さんにも、毎年感謝を伝えさせてもらいたいです」
一瞬、父は驚いたように目を見開くが──
すぐに、ゆっくりとうなずいた。
「……そんなふうに言ってくれるだけで、十分だよ。結衣と一緒に選んでくれてありがとう。大事に使わせてもらうよ」
照れたように笑う二人に、結衣は そっと笑みを浮かべた。
少しずつ、でも確かに、家族としての距離が近づいていくのを感じていた。
お忙しい中、読んでいただきありがとうございました!