第56話「心の中に生きている」
あえて誰にも言わなかった——
優し過ぎた弟のことを、結衣は涼也に初めて打ち明ける。
心の中にずっと生き続ける命を、どうか、そっと受け止めて。
「ずっと話せなかったことがあるの。
でも……涼ちゃんには、打ち明けたくなって」
夜の静けさの中、結衣は そっと口を開いた。
「実は……私、弟がいたの」
隣に座る涼也が、小さくうなずく。
「小さい頃から優しくて、本当にいい子だった。
でも、いじめにあって……誰にも言わないまま、自分で命を……」
言葉を絞り出すように、結衣は続けた。
「気づいてあげられなかった。それが、悔しくて……。
誰にも言えなかった。……ううん、あえて言わなかったんだと思う。
優しい子だったから、きっと誰かを心配させたり、悲しませたりしたくなかったんだよね……」
涼也は、そっと結衣の手を握った。
「そうだったんだね……話してくれてありがとう。
きっと優しくて、素敵な弟さんだったんだと思うよ」
結衣の目に、涙がにじむ。
「今もね、私たちの心の中で生きてる。
ずっと見守ってくれてる気がするの」
涼也は静かに頷いた。
「……結婚の挨拶のとき、その話が出なかったのは、きっとそういうことだったんだよね。
知らなかったけど、もし知ってたら、お線香をあげさせてもらいたかった。
今は……せめて、心だけでも届いてほしいって思ってる」
「……ありがとう」
結衣は涼也をまっすぐ見つめ、安心したように、ふっと微笑んだ。
「涼ちゃんのその気持ち、きっと届いてるよ」
***
数日後。
涼也は大悟と、二人きりで話す機会を得た。
「実は……弟さんのこと、結衣ちゃんから聞きました」
「そうか……ついに涼也にも話したか」
「きっと、優しくて素敵な弟さんだったんですね。
ご挨拶に伺ったとき、何も知らなくて……
もし知っていたら、お線香をあげさせてもらいたかったんです」
しばらく黙っていた大悟は、ゆっくり言葉を紡いだ。
「俺たちの心の中には、今もあいつが生きてる。
ただ、その話をすると、どうしても場がしんみりしちまうからな……。
けど、弟を思ってくれるその気持ちだけで、十分だよ。ありがとな」
そう言って、ふっと目を細める大悟。
――その胸に、あの日の記憶がよみがえる。
(回想・少年時代の大悟)
「お父さん、お母さん!結衣に過保護になっちゃダメだから!
俺が代わりに過保護になるから!嫌われ役は……俺がやるから!」
妹を守りたい一心で叫んだ、幼い日の誓い。
それは今も、大悟の中で、静かに生き続けていた。
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