第40話「転勤前の宝物」
ほんの小さなぬくもりが、二人の信頼を育んでいく。
春の空気がほんのり暖かくなってきた三月の週末。
転勤を目前に控えた結衣と涼也は、最後のデートに出かけた。向かったのは、郊外にある静かな庭園。色とりどりのチューリップが風に揺れ、春の光に優しく包まれていた。
「この前、結衣ちゃんが“また行きたい”って言ってたからさ。ちゃんと覚えてたよ」
涼也が微笑みながら言うと、結衣は嬉しそうにうなずき、照れくさそうに笑った。
「覚えててくれたんだ……嬉しい!ありがとう、涼ちゃん!」
二人で写真を撮ったり、カフェでのんびり過ごしたり──
あっという間に時間は過ぎていく。でも、それは とてもあたたかい時間だった。
結衣が「ちょっと歩こうか」と涼也を誘い、並んで歩いた先にあった公園のベンチに腰を下ろす。
穏やかな沈黙の後、結衣は そっとバッグから一冊のノートを取り出した。
「これ、今日渡したくて。見てみて?」
涼也が表紙をめくると、そこには二人の写真がたくさん貼られていた。
ノートをめくりながら、涼也は言葉を失っていた。
ページの一つ一つに、二人の思い出が詰まっていて──
そこには結衣のまっすぐな気持ちが、ありのままに綴られていた。
庭園での笑顔、カフェでのおしゃべり、手をつないで歩く後ろ姿──
そして、びっしりと手書きの文字が添えられていた。
「涼ちゃんとお花畑楽しかった〜!」
「あのときの顔、今でもはっきり覚えてる」
「どんどん好きが大きくなってくの、止まらないよ」
「……これ、俺たちの後ろ姿?」
「うん。あのとき気づかなかったけど……撮ってくれてたんだって」
「もしかして……大悟さんが?」
「うん。何か、突然画像送られてきて。『何これ?』って思ったら、私たちの後ろ姿で……笑」
涼ちゃんにもらった大吉のおみくじ
あえて、ここに貼るよ
恋愛と縁談のとこ見て見て!
「あ…あのとき、ちゃんと中身見てなかった。めちゃくちゃいいこと書いてあるじゃんね!」
涼也が結衣の方を見てニヤける。
結衣が「でしょでしょ!これで私たち離れてもきっと大丈夫な証拠だね!」と笑う。
涼也はページをめくる手を止めて、ふっと笑う。
「…これ、全部…結衣ちゃんが……って、結衣ちゃんしかいないか……」
その言葉の後、彼の目に静かに涙が浮かんだ。
こぼれ落ちる雫に気づかないふりをしながら、ノートを抱きしめる。
「引っ越しの準備もあって絶対大変だったはずなのに……」
「それでも、こんなに素敵なものを作ってくれて……本当に、嬉しいよ」
「結衣ちゃんの気持ちが、全部詰まってるんだなって、伝わってきてさ…」
ぐしゃっと笑いながら、でも泣いていた。
あふれ出す思い出に、胸がいっぱいになる。
初めて出会った日。ぎこちなく交わしたメッセージ。
笑い合った時間、すれ違った夜、そして今──全部が大切で、愛おしい。
「離れたくないって、こんなに思うんだな……」
ぽつりとこぼれた言葉に、結衣は そっと手を重ねる。
「大丈夫。離れても、涼ちゃんは私の特別な人だよ」
「……ありがとう、結衣ちゃん。これ……ほんとに、宝物にする」と、嬉しそうに微笑む。
そして、涼也は結衣をぎゅっと抱きしめながら「結衣ちゃん、これからもこうやって一緒にいろんな思い出を作っていこうね」と言う。
その夜。
一人になった部屋で、結衣は ふと自分の手首に視線を落とした。
涼也からもらった腕時計が、春の光の名残を受けて静かに輝いている。
離れていても、大丈夫。
涼ちゃんが不安になる暇もないくらい、いっぱい伝えていこう。
この時計みたいに、ずっと心の中で時を刻んでいけるように──。
今回は「転勤前の宝物」と題して、春の優しい空気の中で交わされる二人の“ぬくもり”を描いてみました。
離れてしまう時間も、きっと二人にとって大切な思い出になる──そんな気持ちを込めています。
第23話のおみくじとの繋がりを感じていただけると嬉しいです。
お忙しい中、読んでいただきありがとうございました!