2-2.公爵令息アレク・ウォールトンの思慕
本日2話目の更新です。
「姉上、ああ姉上、僕の姉上にようやく……ようやく会える」
公爵令息アレク・ウォールトンは、胸の高鳴りを抑えきれず、思わず心の声を漏らしていた。
そんな彼の作成した書類を、執務机の席で確認する王太子フレデリックが冷ややかにつぶやく。
「アレク、うるさい」
将来国の頂点に立つ者なら、それくらい軽く聞き流すくらいの度量が欲しいものだ。
ましてこの三ヶ月間、アレクの姉レティシアを独占しているのだからなおさら、と彼は内心で毒づく。
「“僕の”、ね。たしかに“私の婚約者”が、君の“義姉上”であることは間違いない」
高貴な生まれも、金髪碧眼の美貌も認める。王太子となるべく努力を重ねたことも。
だが、そんなことは、完全無欠の女神のようなレティシアの隣に立つなら当然のことだ。
そうでなければ、アレクはフレデリックを婚約者として到底認められない。
それは養父であるウォールトン公爵とて同じだろう。
「いつもながら細かいことを気になさる方ですね」
「なんの話かな? 将来、“僕の義弟”になる、君の気に障ることを言ったつもりはないけれど?」
書類から顔を上げたフレデリックの微笑みに、内心カチンときながらも、アレクは負けじとにっこりと笑みを返す。子供の頃からずっとこの調子でこの男とアレクは張り合ってきた。
傍から見れば、幼き頃より切磋拓磨してきた気心の知れた主従。
次期国王と次期宰相は盤石と、貴族社会で認識されてもいる。
「ところで、随分と早く国内の不穏分子を片付けてくれたものだね。いくら君でも半年はかかると思ったのに」
アレクの報告に目を通し終え、フレデリックは心底感心したように呟いた。
その底に呆れを潜ませていることも読み取って、アレクは答える。
「国に多大な利益をもたらす、“ウォールトンの知恵姫”たる姉の安全のためです。父も協力し、公爵家の威信をかけて取り組みましたので。姉を塔から解放するためにも」
王家を表と裏から支えるウォールトンを舐めるな、という真意をフレデリックが読み取れないはずはない。
小さく「ちっ」と舌打ちする音が聞こえた。
国内の不穏分子の残党一掃が大幅に前倒しされ、王太子が舌打ちするのをアレクは聞いたのだ。
「殿下にとっても喜ばしいことでは?」
黒髪に紫の瞳。遠縁の庶子ながら、公爵そっくりな外見と利発さを見込まれ養子となったアレクは、いまや誰もが認めるウォールトンの後継者だ。
そう、誰もが――王家の暗部を担う、公爵家の裏の顔においてさえも。
努力を重ねたのはフレデリックだけではない。
「もちろん。優秀な部下であり“弟”を持てて、誇らしいね」
王太子フレデリック。アレクの義姉レティシアの婚約者。
庶子と疎まれ蔑まれたアレクを温かく受け入れ、どんなにひどい態度を取ってもアレクを見捨てなかったレティシアを介し、出会った当初からアレクを“未来の弟”として扱い、牽制してくる。
初対面でアレクに微笑みかけるその目は、完全に敵を見る眼差しだった。
子供の頃からレティシアへの執着の塊のような、腹黒王太子。
(どうして姉上は、この男の本性に一向に気づかないのだろう……)
身の安全のためと公言し、姉を幽閉塔にていよく監禁し、毎日のように会いに行く激ヤバ男だというのに。
護衛兼侍女のサラもいて、レティシアの嫌がることはしない点だけは信頼できるが、いつまでもこの男の好きにさせるつもりはない。
(姉上のお陰で王太子になれた男が……こいつが王子として物にならなければ、公爵家の後継者にレティシアが戻され僕が婿になる未来もあったのに!)
フレデリックを見れば、アレクに対して優越の笑みを浮かべている。殴りたい、この笑顔!
それはともかく、実際、幽閉塔にレティシアの身を移したのはやむを得ない措置ではあった。
◇◇◇◇◇
三ヶ月前、断罪劇直後――。
バルドズ伯爵とその一派の陰謀を潰すと同時に、レティシアに対する数々の不穏な計画が明るみに出た。
娘アリシアを使ってレティシアを陥れる陰謀など、ほんの序章に過ぎなかった。
公爵家を失墜させ、“ウォールトンの知恵姫”を貶め暗殺する案、傀儡にして搾取する案、他国に売り渡す案……。
「うん、面倒だ。関係する一族郎党すべて粛清しよう」
計画案の文書をその手に握り潰し、フレデリックは朗らかに言い放った。
将来国王なのに、本性が暴君すぎる。
「殿下、気持ちはわかりますが。国の運営も一考を。数も多くなりますゆえ」
娘のことであるのに、養父ウォールトン公爵が慌てて至極真っ当なことを言い止めたほどだ。
アレクと共に執務室に呼ばれていた養父に、冗談だよとフレデリックは苦笑した。
「ウォールトン公、レティシアを害そうとした者をこの私が簡単に処分するとでも? それはもう働いてもらうさ。飼い殺しにして馬車馬のごとく、この国と私とレティシアのために」
目が本気だ。怖っ、この鬼畜王子。
この王子がどうして、「子供の頃の天使な外見そのまま、素直で優し過ぎる王子で心配」になるのか、姉レティシアに問い質したいとアレクは常々思っている。
「よくその本性で、姉上の前で優しい王子を維持できているよね……殿下も」
「虫も殺せない、“純真な弟”を演じる君には負けるよ」
「儂としては、娘の番犬にこれ以上なく頼もしく育ったものの、もはやどちらにも嫁がせたくない……」
もう少し凡人でもよかったのに……と、ウォールトン公爵は嘆息する。
だが、この人もこの人で、婚儀を持ちかけようとする国王に「立派な王太子になられ後ろ盾も無用。娘は王妃など望んでいません、広い目でみては?」と逆に圧力をかける「何様公爵」だ。
アレクの養父にして、フレデリックの代父でもある。
「とはいえ、僕も同感です。姉上を苦しめる計画に賛同し、安楽な処刑などありえない」
「レティシアが絡むと、まったく……北部の侯爵が糸を引いているようだが手強いぞ」
「ああ、それについてはウォールトン公」
フレデリックが愉快そうにふふっと笑って、執務机に両手を組んだ。
「使える手駒を送っただろう? 雄大な北の大地でその罪もいくらか浄化されたはずだ」
「アリシア・バルドズ伯爵令嬢か……なにも知らない手駒の愚かな娘と接触してくるか」
「するさ。聖女アリシア・バルドーだよ、ウォールトン公」
たとえ策略でも一度は“真実の愛で結ばれた相手”を、この王子は使い倒すつもりでいる。
もっとも、アレクとしても姉レティシアを陥れ「あの女」呼ばわりした令嬢に、同情などひとかけらもない。
それにアリシア・バルドズは意外とたくましい令嬢だった。
フレデリックの本性を知るや、あっさり彼に寝返り、父親と一派を売っただけでなく、贖罪と忠誠を誓い自身を売り込んだのだから。
「たしかに切り捨てるには惜しい。世にも珍しい光属性魔法の使い手だなんてね」
かくしてアリシア・バルドズ伯爵令嬢は、平民アリシア・バルドーとなり、工作員としてアレクの管理のもと第二の人生を歩み始めたのである。
◇◇◇◇◇
北部の修道院は、雄大な白き山を臨む、厳しい自然と向き合う心身修養の地である。
この国で最も荘厳かつ由緒ある修道院の庭で、井戸から組み上げた水の入った木桶をよいしょと持ち上げ、明るい栗色の髪をベールで覆った少女は、その重さにうんざりしながら周囲に誰もいないことを確認した。
「本当っ、冗談じゃないわよ! あたしがこんな、銀の匙より重いものなんて持ったことないのに……ったく、あの二重人格の激ヤバ鬼畜王太子のせいでっ」
「自分の愚かさを嘆かない性格もあるのでは? アリシア・バルドー」
「ひぁっ!?」
中性的な男性の声に驚いて、アリシアは手放しそうになった木桶の持ち手を握り直した。
しかし重みで足元がよろけて、地面に水をぶちまけそうになる。
また汲み直さないといけない運命を呪えば、ふっと手にかかる重みがなくなった。
顔だけ動かして見上げ、アリシアは礼を言いかけたのを刺々しいため息に変える。
木桶を持ってくれたのが、成長期な年頃の、黒髪に紫の瞳をした貴族の令息だったからだ。
「誰かと思ったら、どシスコンの王家の仔犬な上司様じゃない。脅かさないでよね、他のシスターか信者かと」
「君の生殺与奪の権利は僕が握っているのわかってる? “二重人格の激ヤバ鬼畜王太子”の発言に免じて、失礼な挨拶は聞き流してあげるけどさ」
「お優しい上司様に感謝いたしますわ。何の用。定期報告は送ったばっかでしょ」
アリシアは重い水の木桶をアレクに渡し、背筋を伸ばした。
王太子フレデリックの側近は、時折人殺しの目をするが、フレデリックと比べるといくぶんか甘い。
将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。側近の攻略も考えたアリシアだ。
姉レティシアへの情が深すぎて陥落しなかったが、複雑な出自のためか、よろけたアリシアの木桶を持つような変なプライドはある。次期宰相らしいけれど大丈夫かしらとアリシアは思う。
「君の報告で、周辺の調べも固まった。途中の村で君の評判聞いたけど、すっかり聖女なのに呆れるよ。二ヶ月半前に王太子の婚約者を陥れようとした令嬢とは思えない」
「あたしの愛らしさに、お祈りついでに軽く回復魔法を発光付きでやれば一発ね。おかげで食事は良くなったわ。最初はひどいったらなかったもの」
「君、たくましすぎない? 本当に伯爵令嬢?」
「あたしは全力でこの人生で一番可愛い役でいると決めてるの。あの鬼畜王子は読み間違えただけよ」
だから、とアリシアは自身の顎先に手を添えて、最も華やかかつ愛らしく見える角度でアレクに顔を向けた。
肌寒い山の風が、彼女の修道衣とベールをふわりと靡かせる。
「父を調子づかせ、あたしの信者の子供たちを騙して売り捌く悪徳侯爵なんて、偉大な王家のご威光の下にさっさと失脚させてくださいな。ウォールトン公爵令息様」
負けたのではない、ミスっただけだ。細い糸に縋るようなものだったけれど、こうしてアリシア自身の選択によって五体満足で人生は続いている。続けられるのならアリシアの人生では、アリシアがヒロインだ。
「君、王都にいた頃よりずっとよく見える」
「あら、公爵夫人へジョブチェンジも可能ですことよ」
「そこまでいいとは言ってない……姉上を陥れた時点で僕の敵だから」
「たしかに美人で賢くて性格もいいけれど、あの地味な公爵令嬢のなにがそんなにいいのかしら」
アリシアはレティシアを認めていなかったわけではない。
むしろ地味ながら手強いと苛々していたからこその「あの女」であり、陥れたい対象だった。
存在感が薄く、王太子への恋心も、未来の王妃への興味も、社交界に君臨する執着もこれっぽっちも感じられない人に見えた。なのに皆、彼女の虜になる。アリシアにとって、それが最大の疑問だ。
「誰に顧みられもせず期待もされない、何者でもない子供でも、その地位も立場も関係なく一人の人として見てくれるところだよ。ある意味、君とは対極だよね」
「お友達にはなれそうにないわね」
アリシアは肩をすくめると、アレクの手から木桶を奪い返した。
貴族なんて、いや貴族でなくとも、立場と力と見返りあってのものではないか。
アリシアを聖女と崇めもてはやす者たちも、アリシアが王家に仇なす罪人だと知れば近づいてはこない。
「さっさと仕事を片付けに行ったら? あ、あの鬼畜王子に、あたしが結構いい働きしたって上司としてちゃんと伝えなさいよ!」
修道女の一日は忙しいのだ。偉いお貴族様になんて構ってはいられないと、アリシアはアレクに言いたいことだけ言って、彼女自身のいまの役に徹するのだった。
もちろん健気で愛らしい聖女、シスター・アリシアの役である。
「あの弟もヤバいわよね。鬼畜王子と張り合って各地で暗躍って……」
これからこの地域を治める侯爵家の城で起きる惨劇と、この地の主導権を内心握りたがっていた司教様のほくほく顔を考えて、ああやだやだとアリシアはつぶやいた。
最初の話では名前だけの義弟アレクと、北に送られたアリシア嬢のその後を書きたくてかきました。
光属性魔法はやはり小説上はヒロインですから・笑
お読みいただきありがとうございます。
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